アルフォンソ4世 (アラゴン王)
アルフォンソ4世 / アルフォンス4世 Alfonso IV / Alfons IV | |
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アラゴン国王 | |
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在位 | 1327年 - 1336年 |
出生 | (1299-11-02) 1299年11月2日 ナポリ王国、ナポリ |
死去 | (1336-01-24) 1336年1月24日(36歳没) カタルーニャ君主国、バルセロナ |
埋葬 | カタルーニャ君主国、リェイダ旧大聖堂 |
配偶者 | ウルジェイ女伯テレサ・デ・エンテンサ |
レオノール・デ・カスティーリャ | |
子女 | 一覧参照 |
家名 | バルセロナ家 |
王朝 | バルセロナ朝 |
父親 | ハイメ2世 |
母親 | ブランカ・デ・ナポレス |
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アルフォンソ4世(西:Alfonso IV, 1299年11月2日 - 1336年1月24日)は、アラゴン王、バレンシア王、およびバルセロナ伯(在位:1327年 - 1336年)。カタルーニャ語名ではアルフォンス4世(Alfons IV, バルセロナ伯としては3世)。慈悲王(西:el Benigno, カ:el Benigne)と呼ばれる。ハイメ2世(公正王)とその王妃であったナポリ王カルロ2世の王女ブランカの次男。
生涯
兄のハイメが王位継承権を放棄して修道士となったため、アルフォンソは次男でありながら王太子に立てられた。またアルフォンソ3世はウルジェイ伯領の相続人であるテレサ・デ・エンテンサと結婚し、ウルジェイをアラゴン王国の領土に加えた。彼女との間には王位を嗣いだペドロ4世やマヨルカ王ハイメ3世妃となったコンスタンサをもうけた。
1327年にテレサと死別した後、アルフォンソ4世は兄ハイメと縁談があったが断られていたカスティーリャ王アルフォンソ11世の姉レオノールと再婚した。彼女は後に甥のカスティーリャ王ペドロ1世(残酷王)に息子ともども殺害された。
子女
テレサ・デ・エンテンサとの間に、以下の成人した子女がいる。
- コンスタンサ(1318年 - 1346年) - マヨルカ王ハイメ3世(1349年没)と結婚
- ペドロ4世(1319年 - 1387年)
- ハイメ(1321年 - 1347年) - ウルジェイ伯。孫ジャウマ2世はペドロ4世娘イサベルと結婚し、1410年に王位を要求した。
レオノール・デ・カスティーリャとの間に、以下の2男がいる。
- フェルナンド(1329年 - 1363年) - 1354年にポルトガル王ペドロ1世娘マリアと結婚した。
- フアン(1331年 - 1358年) - 1354年にイサベル・デ・ララと結婚した。
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アラゴン国王(1327年 - 1336年) | |
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ヒメノ朝 | ラミロ1世1035-1063 / サンチョ・ラミレス1063-1094 / ペドロ1世1094-1104 / アルフォンソ1世1104-1134 / ラミロ2世1134-1137 / ペトロニラ1137-1164 |
バルセロナ朝 | アルフォンソ2世1164-1196 / ペドロ2世1196-1213 / ハイメ1世1213-1276 / ペドロ3世1276-1285 / アルフォンソ3世1285-1291 / ハイメ2世1291-1327 / アルフォンソ4世1327-1336 / ペドロ4世1336-1387 / フアン1世1387-1396 / マルティン1世1396-1410 |
トラスタマラ朝 | フェルナンド1世1412-1416 / アルフォンソ5世1416-1458 / フアン2世1458-1479 / エンリケ4世(対立王)1462-1463 / ペドロ5世(対立王)1463-1466 / レナト1世(対立王)1466-1472 / フェルナンド2世1479-1516 / フアナ1516-1555 |
アブスブルゴ朝 | カルロス1世1516-1556 / フェリペ1世1556-1598 / フェリペ2世1598-1621 / フェリペ3世1621-1665 / カルロス2世1665-1700 |
ボルボン朝 | フェリペ4世1700-1705 |
アブスブルゴ朝 | カルロス3世1705-1714 |
※1715年、スペイン王位へ統合 カテゴリ |
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