ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ

ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ
Владимир Александрович
ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家
ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ(1890年代)

全名 ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ
身位 ロシア大公
出生 (1847-04-22) 1847年4月22日
ロシア帝国の旗 ロシア帝国
サンクトペテルブルク
死去 (1909-02-17) 1909年2月17日(61歳没)
ロシア帝国の旗 ロシア帝国
サンクトペテルブルク
配偶者 マリア・パヴロヴナ
子女 アレクサンドル・ウラジーミロヴィチ大公
キリル・ウラジーミロヴィチ大公
ボリス・ウラジーミロヴィチ大公
アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公
エレナ・ウラジーミロヴナ大公女
父親 アレクサンドル2世
母親 マリア・アレクサンドロヴナ
宗教 ロシア正教会
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ウラジーミル・アレクサンドロヴィチロシア語表記:Владимир Александрович, 1847年4月22日 - 1909年2月17日) は、ロシア大公ロシア皇帝アレクサンドル2世の三男で、アレクサンドル3世の弟である。母は皇后マリア・アレクサンドロヴナ。

子女

1874年に又従妹(祖母同士が姉妹)のメクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ2世の娘マリー・アレクサンドリーネと結婚し、5人の子女をもうけた。

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1ロシア大公として誕生したが、アレクサンドル3世の布告により大公の地位を喪失した。
2ロマノフ家協会(英語版)は、キリル・ウラジーミロヴィチによる家長位請求を認めていない。
3ロマノフ家協会は、ウラジーミル・キリロヴィチ・ロマノフによる家長位請求を認めていない。
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