シャルリー (シェール県)
この項目では、シェール県のコミューンについて説明しています。その他の用法については「シャルリー」をご覧ください。 |
Charly | |
---|---|
行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | サントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏 |
県 (département) | シェール県 |
郡 (arrondissement) | サンタマン=モンロン郡 |
小郡 (canton) | ラ・ゲルシュ=シュル=ロボワ小郡 |
INSEEコード | 18054 |
郵便番号 | 18350 |
市長(任期) | ドミニク・レニョー[1] (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes Pays de Nérondes |
人口動態 | |
人口 | 254人 (2014年) |
人口密度 | 9.9人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯46度54分00秒 東経2度44分59秒 / 北緯46.9度 東経2.7497度 / 46.9; 2.7497座標: 北緯46度54分00秒 東経2度44分59秒 / 北緯46.9度 東経2.7497度 / 46.9; 2.7497 |
標高 | 平均:? m 最低:169m 最高:256m |
面積 | 25.66km2 |
Charly | |
テンプレートを表示 |
シャルリー (Charly)は、フランス、サントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏、シェール県のコミューン。
地理
コミューン内をシェール川の支流エラン川が横切る。
歴史
13世紀、教区の名はCharliacoであり、住民の呼称はCharliacoisと記されている。
教区は聖サンフォリアンの言葉の庇護下にあり、管轄するリモージュのベネディクト会派女子修道院長が、任命権を持っていた。
1485年に小修道院長ジャクリーヌ・ド・ブランシュフォールが帰天するまで、修道生活に関する何の記録も見つけることができなかった。
1626年、シャルリーの領主権を所有していたムラン=ポルシェ家は、権利を尼僧たちに授けた。1793年、尼僧たちは自分たちの修道院から退去させられ、建物は国家資産として売却された。教会はその後、全ての信仰の実施に開かれた場所となった。教会の南側にあった修道院建物は、回廊と礼拝堂を備え5つの建物で構成されていたが、完全に破壊されている。
人口統計
1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2008年 | 2014年 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
399 | 364 | 273 | 272 | 252 | 257 | 226 | 254 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[2]、2006年以降INSEE[3][4]。