ジーグフェルド・フォリーズ (映画)

ジーグフェルド・フォリーズ
Ziegfeld Follies
監督 ルミュエル・エアーズ
ロイ・デル・ルース(英語版)
ロバート・ルイス(英語版)
ヴィンセント・ミネリ
メリル・パイ
ジョージ・シドニー
チャールズ・ウォルタース
脚本 チャールズ・ウォルタース
製作 アーサー・フリード
出演者 フレッド・アステア
ルシル・ボール
ルシル・ブラマー(英語版)
ファニー・ブライス
ジュディ・ガーランド
キャスリン・グレイソン
レナ・ホーン
ジーン・ケリー
ジェームズ・メルトン
ヴィクター・ムーア(英語版)
レッド・スケルトン
エスター・ウィリアムズ
ウィリアム・パウエル
エドワード・アーノルド
マリオン・ベル
シド・チャリシー
ヒューム・クローニン
ウィリアム・フローリー(英語版)
ロバート・ルイス
ヴァージニア・オブライエン(英語版)
キーナン・ウィン
音楽 ロジャー・イーデンス
レニー・ヘイトン(英語版)
コンラッド・サリンジャー
ハリー・ウォーレン(英語版)
撮影 ジョージ・フォルシー(英語版)
メリル・パイ
ジャック・マーティン・スミス(英語版)
編集 アルバート・アクスト
配給 アメリカ合衆国の旗 MGM
日本の旗 日本ヘラルド[1]
公開 アメリカ合衆国の旗 1945年8月13日(ボストン)
アメリカ合衆国の旗 1946年7月15日(全米)
日本の旗 1989年1月7日[1]
上映時間 110分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 3,403,000ドル[2][3]
興行収入 5,344,000ドル[2]
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ジーグフェルド・フォリーズ』(Ziegfeld Follies)は、1945年に公開されたアメリカ合衆国ミュージカル映画コメディ映画。配給はMGM。監督はルミュエル・エアーズ、ロイ・デル・ルース(英語版)ロバート・ルイス(英語版)ヴィンセント・ミネリ、メリル・パイ、ジョージ・シドニーチャールズ・ウォルタースフレッド・アステアルシル・ボールルシル・ブラマー(英語版)ファニー・ブライス(オリジナルのフォリーズから唯一の出演)、ジュディ・ガーランドキャスリン・グレイソンレナ・ホーンジーン・ケリー、ジェームズ・メルトン、ヴィクター・ムーア(英語版)レッド・スケルトンエスター・ウィリアムズら、MGMの主役級スターが勢揃いした。

プロデューサーのアーサー・フリードはオリジナルであるブロードウェイのショー『ジーグフェルド・フォリーズ』の進行を映画で再現しようと考え、独立したミュージカル・シーンとコントで全体を構成した。撮影は1944年から1945年にかけて行われた[4]。全米公開は1946年で、興行的にも批評的にも大成功となった。

この映画は第2回カンヌ国際映画祭に出品された[5]

なお、日本劇場公開時およびヘラルド・ポニーなどから発売されたVHS、レーザーディスクの日本語タイトルは『ジーグフェルド・フォーリーズ』だった[6]

構成

  • オープニングは天国にいるジーグフェルド(ウィリアム・パウエル)が往年のジーグフェルド・フォリーズのショーを回想する。アナ・ヘルド(英語版)マリリン・ミラー(英語版)、ファニー・ブライス、ウィル・ロジャースエディ・カンターらのパフォーマンスはストップモーション・アニメーションで再現された。初期の案では、レオ・ザ・ライオンが映画の紹介をすることになっていた。公開前にカットされたが、その映像は現存している[7]
  • 導入部はフレッド・アステアの歌で『Here's To The Girls』。踊りはシド・チャリシー、ルシル・ボールら。アステアのシーンの演出はすべてヴィンセント・ミネリが担当した。つづいて、ヴァージニア・オブライエンが歌う『Bring On The Wonderful Men』。(2曲とも作詞アーサー・フリード、作曲ロジャー・イーデンス)
  • エスター・ウィリアムズの水中バレエ。
  • キーナン・ウィンの電話のコント『Number Please』。キーナンの父エド・ウィンはオリジナルのフォリーズに出ていた。
  • ジェームズ・メルトンとマリオン・ベルによる『椿姫』の抜粋。
  • ヴィクター・ムーアとエドワード・アーノルドの裁判コント『Pay the Two Dollars』。
  • アステアとルシル・ブラマーがスリと令嬢に扮して舞踏会でロマンティックなダンスを踊る。曲はスタンダードナンバー『This Heart of Mine』(作詞アーサー・フリード、作曲ハリー・ウォーレン)。
  • ファニー・ブライスのコント『A Sweepstakes Ticket』。夫(ヒューム・クローニン)が家賃代わりに大家(ウィリアム・フローリー)に渡した宝くじが大当たりで何とか取り戻そうとする。
  • レナ・ホーンの歌『Love』(作詞ラルフ・ブレーン、作曲ヒュー・マーティン)。
  • レッド・スケルトンのタイムCMをネタにしたコント『When Television Comes』。
  • アステア&ブラマーのパントマイムとダンス『Limehouse Blues』。チャイナタウンが舞台の悲劇で、アステアは顔を黄色く塗って貧乏な中国人青年に扮した。
  • ジュディ・ガーランドのドラマと歌『A Great Lady has an Interview』。ケイ・トンプソンの作で、元々はグリア・ガースンのために用意されたものだったがガースンが辞退。演出もガーランドの友人のチャールズ・ウォルタースがするはずだったが、ウォルタースは振り付けにまわり、ヴィンセント・ミネリが代わって演出。ミネリとガーランドは当時付き合っていて、後に結婚した。
  • アステアとジーン・ケリーのダンス『The Babbitt and the Bromide』(作詞アイラ・ガーシュウィン、作曲ジョージ・ガーシュウィン)。
  • キャスリン・グレイソンの歌う『There's Beauty Everywhere』。ジェームズ・メルトンの歌で、アステア、シド・チャリシー、ルシル・ブラマーが泡の中で踊るはずだったが、泡発生装置が故障し、サウンドステージの廊下まで泡だらけになり、撮り直しで現在の形になった。チャリシーの踊りのみ使われている。

反応

「この映画で最高のシークエンスはコントだ。とくに、レッド・スケルトンとブロンクスの主婦を演じたファニー・ブライス。インタビューを受ける女優を演じたジュディ・ガーランドも良い。『ジーグフェルド・フォリーズ』はまさにエンターテインメントだ」(ボズレー・クラウザーニューヨーク・タイムズ』)

「『A Great Lady has an Interview』のジュディ・ガーランドは6人の男たち相手に職業風刺の思わぬ才能を見せてくれた。何度でも言うが、『Number Please』のキーナン・ウィンはハリウッドきってのコメディアン。そして、フレッド・アステアとジーン・ケリー二人揃ってタップダンスを踊る『The Babbitt and the Bromide』にとどめを刺された」(『ニューズウィーク』)[8]

興行

MGMによるとアメリカとカナダで3,569,000ドル、それ以外の国で1,775,000ドルの収益をあげた[2][9]

受賞

第2回カンヌ国際映画祭で最優秀ミュージカル・コメディ賞を受賞[10]

出典

  1. ^ a b ジーグフェルド・フォリーズ - KINENOTE
  2. ^ a b c "The Eddie Mannix Ledger" (Document). Los Angeles: Margaret Herrick Library, Center for Motion Picture Study{{inconsistent citations}}.
  3. ^ HOLLYWOOD 'TAKES': METRO PLANS BI-ANNUAL MOVIE EDITIONS OF 'ZIEGFELD FOLLIES' -- OTHER NOTES By FRED STANLEY HOLLYWOOD.. New York Times (1923-Current file) [New York, N.Y] 09 Jan 1944: X3.
  4. ^ The Films of Judy Garland, Joe Morella and Edward Epstein, p. 132
  5. ^ “Festival de Cannes: Ziegfeld Follies”. festival-cannes.com. 2009年1月6日閲覧。
  6. ^ “1989年1月上旬号 戦後復刊1000号特別記念号”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2020年6月3日閲覧。
  7. ^ Original stop motion puppet Leo the Lion introduction to "Ziegfeld Follies" (1946) on YouTube
  8. ^ The Films of Judy Garland, Joe Morella and Edward Epstein, p.134
  9. ^ See also "60 Top Grossers of 1946", Variety 8 January 1947 p8
  10. ^ Staff. “Ziegfeld Follies - Awards”. 2013年10月8日閲覧。

外部リンク

英語版ウィキクォートに本記事に関連した引用句集があります。
Ziegfeld Follies (film)
アーサー・フリードプロデュース映画
プロデュース作品
  • 青春一座(1939)
  • ストライク・アップ・ザ・バンド(1940)
  • リトル・ネリー・ケリー(英語版)(1940)
  • レディ・ビー・グッド(1941)
  • ブロードウェイ(1941)
  • パナマ・ハッティ(英語版)(1942)
  • フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル(1942)
  • キャビン・イン・ザ・スカイ(1943)
  • デュバリイは貴婦人(英語版)(1943)
  • ベスト・フット・フォワード(英語版)(1943)
  • ガール・クレイジー(1943)
  • 若草の頃(1944)
  • ヨランダと泥棒(英語版)(1945)
  • ハーヴェイ・ガールズ(英語版)(1946)
  • ジーグフェルド・フォリーズ(1946)
  • 雲流るるはてに(英語版)(1946)
  • グッド・ニュース(英語版)(1947)
  • サンマー・ホリデイ(英語版)(1948)
  • 踊る海賊(1948)
  • イースター・パレード(1948)
  • ワーズ&ミュージック(1948)
  • 私を野球につれてって(1949)
  • ブロードウェイのバークレー夫妻(英語版)(1949)
  • 踊る大紐育(1949)
  • アニーよ銃をとれ(1950)
  • ペイガン・ラヴ・ソング(英語版)(1950)
  • 恋愛準決勝戦(1951)
  • ショウ・ボート(1951)
  • 巴里のアメリカ人(1951)
  • ベル・オブ・ニューヨーク(英語版)(1952)
  • 雨に唄えば(1952)
  • バンド・ワゴン(1953)
  • ブリガドーン(英語版)(1954)
  • いつも上天気(1955)
  • キスメット(英語版)(1955)
  • 舞踏への招待(英語版)(1956)
  • 絹の靴下(1957)
  • 恋の手ほどき(1958)
  • ベルズ・アー・リンギング(英語版)(1960)
クレジット無し
プロデュース作品
ミュージカル以外
  • 二日間の出会い(英語版)(1945)
  • エニー・ナンバー・キャン・プレイ(英語版)(1949)
  • 危機の男(英語版)(1950)
  • 地下街の住人(英語版)(1960)
  • Light in the Piazza(1962)
1940年代
  • キャビン イン ザ スカイ(1943)
  • I Dood It(1943)
  • 若草の頃(1944)
  • The Clock(1945)
  • ジーグフェルド・フォリーズ(1945)
  • ヨランダと泥棒(1945)
  • Undercurrent(1946)
  • 踊る海賊(1948)
  • ボヴァリー夫人(1949)
1950年代
1960年代
  • 肉体の遺産(1960)
  • ベルズ・アー・リンギング(1960)
  • 黙示録の四騎士(1962)
  • 明日になれば他人(1962)
  • けっさくなエディ(1963)
  • さよならチャーリー(1964)
  • いそしぎ(1965)
1970年代
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