チャック・ノブロック

チャック・ノブロック
Chuck Knoblauch
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州ヒューストン
生年月日 (1968-07-07) 1968年7月7日(55歳)
身長
体重
5' 9" =約175.3 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手 外野手
プロ入り 1989年 ドラフト1巡目(全体25位)
初出場 1991年4月9日
最終出場 2002年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

エドワード・チャールズ・ノブロックEdward Charles Knoblauch, 1968年7月7日 - )は、MLBの元選手。ポジションは二塁手外野手アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン出身。

経歴

ツインズ時代

1986年のMLBドラフトフィラデルフィア・フィリーズから18巡目に指名を受けるが契約せず。1989年のMLBドラフトミネソタ・ツインズから1巡目(全体25位)に指名を受け入団。

1991年に開幕メジャー入りを果たし、4月9日のオークランド・アスレチックスとの開幕戦でメジャーデビュー。8月31日のボルチモア・オリオールズ戦でマイク・ムッシーナからメジャー初本塁打を放つ。151試合に出場して打率.281・25盗塁を記録し、チームの前年地区最下位からの地区優勝に貢献。トロント・ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.350と活躍し、チームはリーグ優勝を果たす。アトランタ・ブレーブスとのワールドシリーズでは、3勝3敗のタイで迎えた最終第7戦で、遊撃手グレッグ・ギャグニーと共に有名な「デコイ・プレイ」を行う。両チーム無得点で迎えた8回表、ブレーブスの先頭打者ロニー・スミスが安打で出塁。次打者のテリー・ペンドルトンが左中間を破る当たりを放つが、一塁走者のスミスが白い天井のため打球を見失う。それに気付いた両者が内野ゴロで併殺打を取るかのような動作を行い、これを見たスミスは二塁にスライディング。すぐに打球の位置に気が付いたものの、三塁でストップする羽目になった。試合はそのまま延長戦に入り、延長10回にツインズがワールドチャンピオンを決める劇的なサヨナラ勝利を収めた。結果的に大きなプレイとなったことについて本人は「いつも練習していた。いつかこのプレーが勝利に結び付けばと思っていた」と語っている[1]。打撃でも打率.308を記録するなど活躍を見せた。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では2位以下に大きく差を付けて受賞した。

1992年オールスターゲームに初めて選出され、打率.297を記録。

1994年は2年ぶりにオールスターゲームに選出。1994年から1995年のMLBストライキでシーズンが打ち切られたが、打率.312、キャリアハイでリーグトップの45二塁打を記録する。

1995年は打率.333・11本塁打・46盗塁の成績で初のシルバースラッガー賞を受賞。

1996年は前半戦で打率.370を記録し、2年ぶりのオールスターゲームに出場。いずれもキャリアハイの打率.341・197安打・140得点・14三塁打(リーグトップ)・98四球・出塁率.448・長打率.517を記録するなど自身最高のシーズンとなった。

1997年は打率.291、キャリアハイの62盗塁を記録し、ロベルト・アロマーを抑えて初のゴールドグラブ賞と2度目のシルバースラッガー賞を受賞した。

ヤンキース時代

球団の年俸削減方針により、1998年2月6日にエリック・ミルトンクリスチャン・グーズマンブライアン・ブキャナンら4選手プラス300万ドルとの交換トレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍。同年は打率.265に終わるが17本塁打を記録し、チームは独走で地区優勝。ディビジョンシリーズリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.167に終わるが、チームはリーグ優勝。サンディエゴ・パドレスとのワールドシリーズでは、第1戦で2-5とリードされた7回裏に同点となる3点本塁打を放ち、その後ティノ・マルティネスの満塁本塁打で勝ち越し、チームは勝利。打率.375と活躍し、ワールドチャンピオンの立役者となった。

1999年は打率.292、キャリアハイの18本塁打を記録し、チームはリーグ連覇を果たす。ブレーブスとのワールドシリーズでは第3戦の8回裏にトム・グラビンから同点2点本塁打を放つなど打率.313を記録し、チームは2年連続の4連勝でシリーズ連覇。しかし同年から特に一塁に悪送球をしてしまうイップスに悩まされ、自身ワーストの26失策。

2000年は故障で8月から1ヶ月離脱したが15失策。時にはフェンスを越えて観客席に投げ、観客が負傷することもあった。[2]。同年途中からは指名打者としても起用される。チームは3年連続でリーグ制覇を果たし、ニューヨーク・メッツとのワールドシリーズでも4勝1敗でシリーズ3連覇を達成するが、自身は打率.100に終わった。

2001年から左翼手にコンバートされる。敵地メトロドームでの古巣ツインズ戦の試合中、左翼の守備に就いていたノブロックに対し、ブーイングだけに留まらず観客席からホットドッグ、ビール瓶、ゴルフボール等が投げつけられ、当時のツインズ監督トム・ケリーが観客席近くまで行って騒ぎを鎮静化させるという事件が起こった。打率.250と移籍後最低の成績に終わり、アリゾナ・ダイヤモンドバックスとのワールドシリーズでも打率.056と不振。チームは最終第7戦で逆転サヨナラ負けを喫し、シリーズ4連覇を逃した。オフにフリーエージェントとなり、12月18日にカンザスシティ・ロイヤルズと契約。

ロイヤルズ時代

2002年は6月5日まで打率.167と打てず、故障で戦線離脱。復帰後にやや上向いたものの、結局自身最少の80試合の出場に留まって打率.210と振るわず、同年限りで現役引退。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1991 MIN 151 634 565 78 159 24 6 1 198 50 25 5 1 5 59 0 4 40 8 .281 .351 .350 .701
1992 155 707 600 104 178 19 6 2 215 56 34 13 2 12 88 1 5 60 8 .297 .384 .358 .742
1993 153 685 602 82 167 27 4 2 208 41 29 11 4 5 65 1 9 44 11 .277 .354 .346 .700
1994 109 499 445 85 139 45 3 5 205 51 35 6 0 3 41 2 10 56 13 .312 .381 .461 .842
1995 136 629 538 107 179 34 8 11 262 63 46 18 0 3 78 3 10 95 15 .333 .424 .487 .911
1996 153 701 578 140 197 35 14 13 299 72 45 14 0 6 98 6 19 74 9 .341 .448 .517 .965
1997 156 716 611 117 178 26 10 9 251 58 62 10 0 4 84 6 17 84 11 .291 .390 .411 .801
1998 NYY 150 706 603 117 160 25 4 17 244 64 31 12 2 7 76 1 18 70 13 .265 .361 .405 .766
1999 150 715 603 120 176 36 4 18 274 68 28 9 3 5 83 0 21 57 7 .292 .393 .454 .847
2000 102 457 400 75 113 22 2 5 154 26 15 7 1 2 46 0 8 45 6 .283 .366 .385 .751
2001 137 600 521 66 130 20 3 9 183 44 38 9 5 2 58 1 14 73 10 .250 .339 .351 .690
2002 KC 80 336 300 41 63 9 0 6 90 22 19 3 2 2 28 1 4 32 5 .210 .284 .300 .584
MLB:12年 1632 7385 6366 1132 1839 322 64 98 2583 615 407 117 20 56 804 22 139 730 116 .289 .378 .406 .784
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

内野守備


二塁(2B) 遊撃(SS)
























1991 MIN 148 249 460 18 94 .975 2 0 0 0 0 ----
1992 154 306 415 6 104 .992 1 0 0 0 0 ----
1993 148 298 425 9 98 .988 6 2 6 0 1 1.000
1994 109 191 284 3 61 .994 1 0 1 0 0 1.000
1995 136 253 400 10 88 .985 2 1 0 0 0 1.000
1996 151 271 390 8 93 .988 -
1997 154 283 424 11 101 .985 1 2 3 1 1 .833
1998 NYY 149 275 408 13 86 .981 -
1999 150 254 425 26 67 .963 -
2000 82 149 190 15 42 .958 -
MLB 1381 2529 3821 119 834 .982 13 5 10 1 2 .938
外野守備


左翼(LF) 中堅(CF)
























1993 MIN - 1 2 0 0 0 1.000
2001 NYY 108 171 8 2 4 .989 -
2002 KC 74 144 5 3 0 .980 -
MLB 182 315 13 5 4 .985 1 2 0 0 0 1.000

表彰

記録

背番号

  • 11(1991年 - 2002年)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 蛭間豊章「前年最下位チーム同士が演じた珠玉の頂上対決」『メジャーリーグ「ワールドシリーズ伝説」』、ベースボールマガジン社、2001年、雑誌67672-91、46頁
  2. ^ 『SLUGGER 米大リーグダイジェスト No.33』日本スポーツ企画出版社、2001年1月15日、30頁。 

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
 
業績
アメリカンリーグ新人王
1940年代
  • 49 ロイ・シーバース(英語版)
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 投手
  • 捕手
  • 一塁手
  • 三塁手
  • 遊撃手
  • 外野手
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 捕手
  • 一塁手
  • 三塁手
  • 遊撃手
  • 外野手
  • 指名打者
 
ワールドシリーズ優勝
ミネソタ・ツインズ 1991年のワールドシリーズ ロースター
   

選手
00 ジュニア・オルティーズ
01 ジャービス・ブラウン
07 グレッグ・ギャグニー
09 ジーン・ラーキン
11 チャック・ノブロック
12 ブライアン・ハーパー
13 マイク・パグリアルーロ
14 ケント・ハーベック
18 ポール・ソレント
19 スコット・エリクソン
24 シェーン・マック
25 ランディ・ブッシュ

26 アル・ニューマン
30 テリー・リーチ
31 スコット・レイアス
32 ダン・グラッデン
34 カービー・パケット
36 ケビン・タパーニ
38 リック・アギレラ
39 デビッド・ウェスト
40 スティーブ・ベドローシアン
44 チリ・デービス
47 ジャック・モリスシリーズMVP
51 カール・ウィリス
53 マーク・ガスリー

監督
10 トム・ケリー

コーチ
06 トニー・オリバ
35 ロン・ガーデンハイアー
42 ディック・サッチ
43 リック・ステルメイセク
45 ウェイン・ターウィリガー
46 テリー・クロウリー

ニューヨーク・ヤンキース 1998年のワールドシリーズ ロースター
   
ニューヨーク・ヤンキース 1999年のワールドシリーズ ロースター
   
ニューヨーク・ヤンキース 2000年のワールドシリーズ ロースター
   
  • 表示
  • 編集