バルトロメオ・マンフレディ
バルトロメオ・マンフレディ Bartolomeo Manfredi | |
---|---|
バルトロメオ・マンフレディ作『リュート吹きの居る居酒屋の風景』(c.1621) | |
誕生日 | 1582年8月25日(洗礼日) |
出生地 | イタリア、オスティアーノ |
死没年 | 1622年12月12日 |
死没地 | イタリア,ローマ |
テンプレートを表示 |
バルトロメオ・マンフレディ(Bartolomeo Manfredi、1582年8月25日(洗礼日)- 1622年12月12日)はイタリアの画家である。バロック絵画の形成に大きな影響を与えたカラヴァッジオのスタイルを信奉したカラヴァッジョ派(Caravaggismo)の画家の一人である。
略歴
現在のロンバルディア州クレモナ県のオスティアーノに生まれた。1595年にマントヴァでポマランチェの出身のためポマランチオ(Pomarancio)と呼ばれた画家のニッコロ・チルチニャーニ(Niccolò Circignani)と知り合い、チルチニャーニから絵を学んだとされる。チルチニャーニに勧められてローマに出たと考えられるがその年代は知られていない。
カラヴァッジオは1600年頃、ローマでその作品が大きな評判になった後、1606年に傷害事件を起こし、ローマから逃亡し、1610年にはトスカーナで病死するが、多くの画家に影響を与えた。マンフレディもそのスタイルを受け継いだ一人となった。1610年までにマンフレディによって描かれた『クピドの懲罰』にカラヴァッジオのスタイルは表れている。フランスやフランドルからローマに修業に来た画家の間に、マンフレディを通してカラヴァッジオのスタイルが広がっていった。フランドル出身の画家、ニコラ・レニエやヘラルト・セーヘルス、フランス出身のヴァランタン・ド・ブーローニュらはマンフレディに学んだ[1]。
1622年にローマで没した。
作品
- 『クピドの懲罰』(1605/1610)
-
- 『ダビデの勝利』(c.1615)
- 『ローマの慈愛』(1620)
脚注
- ^ James R. Hobbes, Picture collector's manual adapted to the professional man, and the amateur, T&W Boone, 1849, page 43, en ligne ; Benedict Nicolson, « Gerard Seghers and the 'Denial of St Peter' », The Burlington Magazine(1971), 302 et 304-309.
参考文献
- Nicole Hartje, Bartolomeo Manfredi (1582-1622) : ein Nachfolger Caravaggios und seine europäische Wirkung : Monographie und Werkverzeichnis, Weimar : VDG, Verlag und Datenbank für Geisteswissenschaften, 2004. (OCLC 56878741)
- Arnauld Brejon de Lavergnée, Dopo Caravaggio : Bartolomeo Manfredi e la manfrediana methodus, Milan : A. Mondadori, 1987; (OCLC 18569800)