フィリップ・エドゥアール・フーコー

フィリップ・エドゥアール・フーコー(Philippe Édouard Foucaux、1811年9月15日 - 1894年5月20日)はフランスチベット学者フランス語で最初のチベット語文法書を出版し、西洋で最初のチベット学教授に就任した[1]

略歴

フーコーはアンジェの商人の家庭に生まれた。1838年、27歳のときにパリに出てウジェーヌ・ビュルヌフインド学を学んだ。ケーレシ・チョマ・シャーンドルの業績を知ってチベット語を2年間独学で修得した後、東洋言語学校でチベット語を教えた。1842年1月31日に就任講演を行った。教授のための財政的支援が1847年に打ち切られた後も、無給で学生を教えた[2]

第二帝政時代の1857年にコレージュ・ド・フランスサンスクリット教授に就任し、没するまでその職にあった[3]

フーコーは51歳のときに作家のルイーズ・シャルロット・フィロン(ペンネームはメアリー・サマー)と結婚した[4]。ルイーズも仏教学者としての著書がある。フーコーはフランス民族誌学会の会員だった。

フーコーはチベット語をチョマの本から独習しただけで、チベット語を話すことはできず、チベットの文化については何も知らなかった[1]

主な著書

  • Grammaire de la langue tibétaine. Paris: L'imprimerie impériale. (1858) (チベット語文法)
  • Le trésor des belles paroles, choix de sentences composées en tibétain; suivies d'une élégie tirée du Kanjour. Paris: B. Duprat. (1858) サキャ・パンディタ『善説宝蔵』の翻訳)
  • Histoire du Bouddha Sakya Mouni. Paris: Duprat. (1860). https://archive.org/details/histoireduboudd00laligoog 方広大荘厳経のチベット語からの翻訳)
    • 邦訳:溝口史郎 訳『ブッダの境涯』東方出版、1996年。 

脚注

  1. ^ a b Le Calloc'h (1987) p.41
  2. ^ Le Calloc'h (1987) p.43
  3. ^ Le Calloc'h (1987) p.47
  4. ^ Le Calloc'h (1987) p.48

参考文献

  • Le Calloc'h, Bernard (1987). “Philippe-Edouard Foucaux: First Tibetan teacher in Europe”. Tibet Journal 12 (1): 39-49. JSTOR 43300231. 
  • Le Calloc'h, Bernard (2001). “Un Angevin oublié, Philippe-Edouard Foucaux,le premier tibétologue français”. Archævs: Studies in History of Religions V: 27-66. 

外部リンク

  • Philippe-Édouard Foucaux, ippolito-desideri.net, http://win.ippolito-desideri.net/doc/biografie/Foucaux.pdf  (イタリア語)
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