フィンスラー多様体

フィンスラー多様体(フィンスラーたようたい、: Finsler manifold)とは、可微分多様体 M であって各接空間 TxMミンコフスキー汎関数 F(x, −) (非対称のときもある) が与えられ、任意の滑らかな曲線 γ: [a, b] → M の長さが

L ( γ ) = a b F ( γ ( t ) , γ ˙ ( t ) ) d t {\displaystyle L(\gamma )=\int _{a}^{b}F\left(\gamma (t),{\dot {\gamma }}(t)\right)\,\mathrm {d} t}

であるものと定義される、微分幾何学の概念である。

正接ノルムが内積から誘導されていないことから、フィンスラー多様体はリーマン多様体よりも一般的な概念と言える。

フィンスラー多様体は、2点間の距離がそれらを結ぶ曲線の最小長で定義されるときintrinsicな準距離空間になる。

ポール・フィンスラーがこの幾何学を研究し(Finsler 1918)、エリ カルタン (1933)がそのことにちなんでフィンスラー多様体と名付けた。

定義

フィンスラー多様体は、可微分多様体 M であって、接束上の連続非負関数 F: TM → [0, +∞) であるフィンスラー計量がM の各点 x に対して、以下の性質をもつものである:

  • 劣加法性xM に正接する 2 つの任意ベクトル v,w に対して F(v + w) ≤ F(v) + F(w)
  • (正の斉次性)任意の λ ≥ 0 に対して Fv) = λF(v)
  • (正定値性)v = 0 でない限り F(v) > 0

つまり、F(x, −) は接空間 TxM 上の非対称ノルム(英語版)である。フィンスラー計量 F は「滑らか」である必要がある。より正確には

劣加法の条件は次の強い凸性条件に置き換えることができる:

ここで、v における F2ヘッシアン対称双線型形式

g v ( X , Y ) := 1 2 2 s t [ F ( v + s X + t Y ) 2 ] | s = t = 0 {\displaystyle \mathbf {g} _{v}(X,Y):={\frac {1}{2}}\left.{\frac {\partial ^{2}}{\partial s\partial t}}\left[F(v+sX+tY)^{2}\right]\right|_{s=t=0}}

である。これは v における F の基本テンソルとも呼ばれる。強い凸性は、uF(u)vF(v) の場合に厳密な不等式による劣加法性を意味する。 F が強い凸性を持つならばそれは接空間のミンコフスキーノルムである。

さらに、

  • 任意の接ベクトル v に対して F(−v) = F(v)

のとき、フィンスラー計量は可逆であるという。可逆なフィンスラー計量は接空間の (通常の意味での) ノルムを定義する。

  • 有限次元のノルム線型空間の滑らかな部分多様体 (開部分集合を含む) は、ベクトル空間のノルムが原点の外側で滑らかならばフィンスラー多様体である。
  • 擬リーマン多様体ではない)リーマン多様体はフィンスラー多様体の特殊なケースである。

ランダース多様体

(M, a) をリーマン多様体とし、bM 上の微分 1 形式

b a := a i j b i b j < 1 , {\displaystyle \|b\|_{a}:={\sqrt {a^{ij}b_{i}b_{j}}}<1,}

を満たすものとする。ここで aijaij の逆行列である。アインシュタインの縮約記法を用いている。すると

F ( x , v ) := a i j ( x ) v i v j + b i ( x ) v i {\displaystyle F(x,v):={\sqrt {a_{ij}(x)v^{i}v^{j}}}+b_{i}(x)v^{i}}

M 上のランダース計量を定義し、(M, F) は非可逆フィンスラー多様体の特殊なケースであるランダース多様体である[1]

滑らかな準距離空間

(M, d)準距離とする。つまり M は可微分多様体であり、dM の微分構造と次の意味での互換性をもつ:

  • M の任意の点 z の近傍で滑らかな Mチャート (U, ϕ) と定数 C ≥ 1 が存在して、任意の x, yU に対して次が成り立つ:
    1 C ϕ ( y ) ϕ ( x ) d ( x , y ) C ϕ ( y ) ϕ ( x ) . {\displaystyle {\frac {1}{C}}\|\phi (y)-\phi (x)\|\leq d(x,y)\leq C\|\phi (y)-\phi (x)\|.}
  • 関数 d: M×M → [0, ∞] がいくつかpunctureされた対角の近傍の中で滑らか。

するとフィンスラー関数 F: TM → [0, ∞]

F ( x , v ) := lim t 0 + d ( γ ( 0 ) , γ ( t ) ) t {\displaystyle F(x,v):=\lim _{t\to 0+}{\frac {d(\gamma (0),\gamma (t))}{t}}}

で定義できる。ここで γM の任意の曲線で γ(0) = x かつ γ′(0) = v を満たす。このように得られたフィンスラー関数 FM の接空間で非対称な(通常は非ミンコフスキー)ノルムに制限される。もともとの準距離から誘導されたintrinsicな計量 dL: M×M → [0, ∞]

d L ( x , y ) := inf {   0 1 F ( γ ( t ) , γ ˙ ( t ) ) d t   |   γ C 1 ( [ 0 , 1 ] , M )   ,   γ ( 0 ) = x   ,   γ ( 1 ) = y   } {\displaystyle d_{L}(x,y):=\inf \left\{\ \left.\int _{0}^{1}F\left(\gamma (t),{\dot {\gamma }}(t)\right)\,dt\ \right|\ \gamma \in C^{1}([0,1],M)\ ,\ \gamma (0)=x\ ,\ \gamma (1)=y\ \right\}}

で復元でき、実際、任意のフィンスラー関数 F: TM → [0, ∞) からこの式によって M 上のintrinsicな準計量 dL を定義できる。

測地線

F の均一性により、M 上の微分可能な曲線 γ: [a, b] → M の長さ

L [ γ ] := a b F ( γ ( t ) , γ ˙ ( t ) ) d t {\displaystyle L[\gamma ]:=\int _{a}^{b}F\left(\gamma (t),{\dot {\gamma }}(t)\right)\mathrm {d} t}

は、正方向の再パラメーター化の下で不変である。等速曲線 γ は、もしその十分に短いセグメント γ|[c,d]γ(c) から γ(d) までの長さを最小化するなら、フィンスラー多様体の測地線である。同様に、もしエネルギー汎関数

E [ γ ] := 1 2 a b F 2 ( γ ( t ) , γ ˙ ( t ) ) d t {\displaystyle E[\gamma ]:={\frac {1}{2}}\int _{a}^{b}F^{2}\left(\gamma (t),{\dot {\gamma }}(t)\right)\mathrm {d} t}

が固定端点 γ(a) = x, γ(b) = y をもつ微分可能な曲線 γ 上でその汎関数微分が消えるという意味で定常なら、γ は測地線である。

フィンスラー多様体上の正準スプレー構造

エネルギー汎関数 E[γ]オイラー・ラグランジュ方程式TM の局所座標系 (x1, ..., xn, v1, ..., vn)

g i k ( γ ( t ) , γ ˙ ( t ) ) γ ¨ i ( t ) + ( g i k x j ( γ ( t ) , γ ˙ ( t ) ) 1 2 g i j x k ( γ ( t ) , γ ˙ ( t ) ) ) γ ˙ i ( t ) γ ˙ j ( t ) = 0 {\displaystyle g_{ik}{\Big (}\gamma (t),{\dot {\gamma }}(t){\Big )}{\ddot {\gamma }}^{i}(t)+\left({\frac {\partial g_{ik}}{\partial x^{j}}}{\Big (}\gamma (t),{\dot {\gamma }}(t){\Big )}-{\frac {1}{2}}{\frac {\partial g_{ij}}{\partial x^{k}}}{\Big (}\gamma (t),{\dot {\gamma }}(t){\Big )}\right){\dot {\gamma }}^{i}(t){\dot {\gamma }}^{j}(t)=0}

である。ここで k = 1, ..., n、また gij は次で定義される基本テンソルの座標表現である:

g i j ( x , v ) := g v ( x i | x , x j | x ) . {\displaystyle g_{ij}(x,v):=g_{v}\left(\left.{\frac {\partial }{\partial x^{i}}}\right|_{x},\left.{\frac {\partial }{\partial x^{j}}}\right|_{x}\right).}

v ∈ TxM に関して F2(x, v)強い凸性(英語版)を仮定すると、行列 gij(x, v)正則であり、その逆行列は gij(x, v) と表される。すると γ: [a, b] → M(M, F) の測地線である必要十分条件は、接曲線 γ′: [a, b] → TM∖{0} が TM∖{0} 上で次式によって局所的に定義された滑らかなベクトル場 H の積分曲線であることである:

H | ( x , v ) := v i x i | ( x , v ) 2 G i ( x , v ) v i | ( x , v ) , {\displaystyle \left.H\right|_{(x,v)}:=\left.v^{i}{\frac {\partial }{\partial x^{i}}}\right|_{(x,v)}\!\!-\left.2G^{i}(x,v){\frac {\partial }{\partial v^{i}}}\right|_{(x,v)},}

ここで局所スプレー係数 Gi は次式で与えられる:

G i ( x , v ) := 1 4 g i j ( x , v ) ( 2 g j k x ( x , v ) g k x j ( x , v ) ) v k v . {\displaystyle G^{i}(x,v):={\frac {1}{4}}g^{ij}(x,v)\left(2{\frac {\partial g_{jk}}{\partial x^{\ell }}}(x,v)-{\frac {\partial g_{k\ell }}{\partial x^{j}}}(x,v)\right)v^{k}v^{\ell }.}

TM∖{0} 上のベクトル場 HJH = V および [V, H] = H を満たす。ここで J, VTM∖{0} の正準準同型(英語版)および正準ベクトル場である。したがって定義より HM 上のスプレー(英語版)である。スプレー H は垂直投影を介してファイバー束 TM∖{0} → M に非線形接続を定義する。

v : T ( T M { 0 } ) T ( T M { 0 } ) ; v := 1 2 ( I + L H J ) . {\displaystyle v:T(\mathrm {T} M\setminus \{0\})\to T(\mathrm {T} M\setminus \{0\});\quad v:={\frac {1}{2}}{\big (}I+{\mathcal {L}}_{H}J{\big )}.}

リーマン多様体の場合と同様、Ehresmann曲率(英語版)と非線形共変微分に関して、一般的なスプレー構造 (M, H) に対するヤコビ方程式のバージョン

D γ ˙ D γ ˙ X ( t ) + R γ ˙ ( γ ˙ ( t ) , X ( t ) ) = 0 {\displaystyle D_{\dot {\gamma }}D_{\dot {\gamma }}X(t)+R_{\dot {\gamma }}\left({\dot {\gamma }}(t),X(t)\right)=0}

が存在する。

測地線の一意性と最小化の性質

Hopf-Rinowの定理(英語版)により、(M, F) 上には長さを最小化する曲線が (少なくとも十分に近い近傍で) 常に存在する。 長さを最小化する曲線は正の値で再パラメータ化して測地線にすることが常にでき、どの測地線も E[γ] に対してオイラー・ラグランジュ方程式を満たさなければならない。F2 の強い凸性を仮定すると、積分曲線の一意性により、任意の (x, v) ∈ TM∖{0} に対して γ(0) = x および γ′(0) = v を満たす最大の測地線 γ が一意に存在する。

F2 が強い凸性をもつなら、測地線 γ: [0, b] → M は、γ に沿って γ(0) に共役する最初の点 γ(s) まで、近くの曲線間で長さを最小化し、リーマン多様体の場合のように、t > s の場合、γの近くにγ(0) から γ(t) までのより短い曲線が常に存在する。

脚注

  1. ^ Randers, G. (1941). “On an Asymmetrical Metric in the Four-Space of General Relativity”. Phys. Rev. 59 (2): 195–199. doi:10.1103/PhysRev.59.195. hdl:10338.dmlcz/134230. 

参考文献

  • Antonelli, Peter L., ed. (2003), Handbook of Finsler geometry. Vol. 1, 2, Boston: Kluwer Academic Publishers, ISBN 978-1-4020-1557-1, MR2067663, https://books.google.com/books?id=b2B5_IUvPJgC 
  • Bao, David; Chern, Shiing-Shen; Shen, Zhongmin (2000). An introduction to Riemann–Finsler geometry. Graduate Texts in Mathematics. 200. New York: Springer-Verlag. doi:10.1007/978-1-4612-1268-3. ISBN 0-387-98948-X. MR1747675 
  • Cartan, Élie (1933), “Sur les espaces de Finsler”, C. R. Acad. Sci. Paris 196: 582–586, Zbl 0006.22501 
  • Chern, Shiing-Shen (1996), “Finsler geometry is just Riemannian geometry without the quadratic restriction”, Notices of the American Mathematical Society 43 (9): 959–63, MR1400859, https://www.ams.org/notices/199609/chern.pdf 
  • Finsler, Paul (1918), Über Kurven und Flächen in allgemeinen Räumen, Dissertation, Göttingen, JFM 46.1131.02  (Reprinted by Birkhäuser (1951))
  • Rund, Hanno (1959). The differential geometry of Finsler spaces. Die Grundlehren der Mathematischen Wissenschaften. 101. Berlin–Göttingen–Heidelberg: Springer-Verlag. doi:10.1007/978-3-642-51610-8. ISBN 978-3-642-51612-2. MR0105726 
  • Shen, Zhongmin (2001). Lectures on Finsler geometry. Singapore: World Scientific. doi:10.1142/4619. ISBN 981-02-4531-9. MR1845637 

外部リンク

  • Hazewinkel, Michiel, ed. (2001), “Finsler space, generalized”, Encyclopaedia of Mathematics, Springer, ISBN 978-1-55608-010-4, http://eom.springer.de/p/f040420.htm 
  • The (New) Finsler Newsletter