ヴァシーリー・ヤロスラヴィチ (ウラジーミル大公)

ヴァシーリー・ヤロスラヴィチ
Василий Ярославич
ウラジーミル大公
在位 1272年 - 1277年

出生 1241年?
死去 1276年
家名 リューリク家
王朝 リューリク朝
父親 ヤロスラフ2世
母親 フェオドシヤ・イーゴレヴナ
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ヴァシーリー・ヤロスラヴィチВасилий Ярославич1241年? - 1276年)は、コストロマー公を経てウラジーミル大公(在位:1272年 - 1277年)。ヤロスラフ2世の末子で、アレクサンドル・ネフスキーヤロスラフ3世の弟に当たる。

生涯

1266年にコストロマーで結婚式を挙げる。1272年の冬、兄ヤロスラフ3世の死去に伴い、モンゴルより後継のウラジーミル大公に任じられる。その際、ノヴゴロドをも直接支配下におこうとしたが、こちらは甥のドミトリー・アレクサンドロヴィチの支配下に入った。但し、ヴァシーリーはタタール軍を率いてドミトリー及びノヴゴロドを攻撃し、恨みを晴らしている(1272年)。サライからの帰国後、1276年1月に嗣子無くして死去。このため、大公の位は兄アレクサンドルの息子であるドミトリー・アレクサンドロヴィチが継いだ。

ヴァシーリー・ヤロスラヴィチの結婚
先代
ヤロスラフ3世
ウラジーミル大公
10代
1272年 - 1277年
次代
ドミトリー・アレクサンドロヴィチ
ロシア国旗 ロシアの君主 ロシア帝国の小紋章
ウラジーミル・
スーズダリ大公
モスクワ大公
ツァーリ
リューリク朝
動乱時代
ロマノフ朝
インペラートル
ロマノフ朝
  • ピョートル1世1721–1725
  • エカチェリーナ1世1725–1727
  • ピョートル2世1727–1730
  • アンナ1730–1740
  • イヴァン6世1740–1741
  • エリザヴェータ1741–1762
ホルシュタイン=ゴットルプ=
ロマノフ朝
  • ピョートル3世1762
  • エカチェリーナ2世1762–1796
  • パーヴェル1世1796–1801
  • アレクサンドル1世1801–1825
  • ニコライ1世1825–1855
  • アレクサンドル2世1855–1881
  • アレクサンドル3世1881–1894
  • ニコライ2世1894–1917