一鶚宗純(いちがくそうじゅん、生没年不詳)は、臨済宗妙心寺派の僧。
甲斐国・武田家の菩提寺である恵林寺で修業を積み、恵林寺住職の快川に師事した[1]。1582年(天正10年)の天目山の戦いに敗れた武田勝頼の残党を寺に匿い、織田信長軍の投降の勧告を跳ねつけて火を掛けられたといわれている[2]。
一鶚は師である快川から観音像と天神像を与えられ阿波国へと逃れ、1614年(慶長19年)に瑞巌寺を開基した[2][3]。弟子には観潮院を開基した功庵がいる。