上宮寺
この項目では、愛知県岡崎市にある寺院について説明しています。茨城県那珂市にある寺院については「上宮寺 (那珂市)」を、奈良県高市郡明日香村上居にある寺院については「上宮寺 (奈良県明日香村)」をご覧ください。 |
上宮寺 | |
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1996年に再建された上宮寺 | |
所在地 | 愛知県岡崎市上佐々木町梅ノ木34 |
位置 | 北緯34度56分31.9秒 東経137度07分25.4秒 / 北緯34.942194度 東経137.123722度 / 34.942194; 137.123722座標: 北緯34度56分31.9秒 東経137度07分25.4秒 / 北緯34.942194度 東経137.123722度 / 34.942194; 137.123722 |
山号 | 太子山 |
院号 | 聖徳皇院 |
宗旨 | 浄土真宗 ← 和田門徒 ← 天台宗 ← 飛鳥仏教 |
宗派 | 真宗大谷派 |
正式名 | 太子山聖徳皇院上宮寺 |
文化財 | 上宮寺境内地(市指定) |
公式サイト | 上宮寺 |
法人番号 | 4180305000186 |
上宮寺 上宮寺 (愛知県) | |
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上宮寺(じょうぐうじ)は、愛知県岡崎市上佐々木町にある寺。本證寺(安城市野寺町)、勝鬘寺(岡崎市針崎町)とともに、三河一向一揆を主導した「三河三ヶ寺」のひとつ。
沿革
推古天皇6年(598年)、聖徳太子は仏法興隆のために全国を行啓した[1]。太子は、三河国に立ち寄ったとき、一本の霊樹を発見した。その霊樹で自らの像を作り、当寺を興隆し仏法弘通の地とした[1]。
本證寺、上宮寺、勝鬘寺は浄土真宗における「三河三か寺」(三河触頭三ヶ寺)とされる[2][3]。なお、三河三か寺の末寺として「浜の三か寺」もあり、本證寺の末寺として恩任寺、上宮寺の末寺として専修坊、勝鬘寺の末寺として西方寺が浜の三か寺とされた[2][3]。
1988年(昭和63年)に本堂や庫裏が全焼したが、 1996年(平成8年)に銅版屋根で再建された[4] 。
文化財
- 上宮寺境内地 - 岡崎市指定文化財(史跡)。1962年(昭和37年)6月15日指定[5]
脚注
[脚注の使い方]
- ^ a b “上宮寺の歴史”. 上宮寺. 2020年11月11日閲覧。
- ^ a b 高浜町誌編纂委員会『高浜町誌 第1巻』高浜町、1966年、p.197
- ^ a b 『西三河古寺抄』菩薩会、1976年、pp.193-201
- ^ “岡崎おでかけナビ 上宮寺”. 岡崎市観光協会. 2020年11月12日閲覧。
- ^ “市指定:史跡 上宮寺境内地”. 岡崎市. 2020年11月12日閲覧。
外部リンク
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