上総能常
凡例 上総 能常 | |
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時代 | 平安時代末期 |
生誕 | 不明 |
死没 | 寿永2年12月22日(1184年2月12日)[1] |
別名 | 良常、小権介[2] |
官位 | 山城権守?、大和権守?[3] |
主君 | 源頼朝 |
氏族 | 上総氏 |
父母 | 父:上総広常 |
兄弟 | 能常、平時家室、小笠原長清室[2] |
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上総 能常 (かずさ よしつね)は、平安時代末期の武士。上総国の豪族・上総広常の嫡男。名は良常とも書かれる[2]。
略歴
治承3年(1179年)父・広常は平氏政権より上総介に任じられた藤原忠清に讒言された際、都に能常を派遣して弁明させている[4]。その後、反平氏のために挙兵した源頼朝に父とともに従い、寿永元年(1182年)北条政子の安産祈願のため、頼朝の命で各地の有力寺社へ奉幣使が派遣されているが、上総一宮の玉前神社へは能常が派遣されている[5]。寿永2年(1183年)12月、上総氏の威勢を警戒した頼朝の命によって、広常とともに鎌倉において誅殺された[6]。『千葉大系図』では自殺であった[2]。