京須行男

 京須 行男 八段
名前 京須 行男
生年月日 (1914-01-23) 1914年1月23日
没年月日 (1960-05-02) 1960年5月2日(46歳没)
プロ入り年月日 1943年(29歳)
引退年月日 1960年(46歳)
出身地 千葉県一宮町
所属 将棋大成会(関東)
日本将棋連盟(関東)
師匠 宮松関三郎八段
段位 八段
順位戦最高クラス B級
2022年2月14日現在
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京須 行男(きょうす ゆきお、1914年大正3年〉1月23日 - 1960年昭和35年〉5月2日)は、将棋棋士。八段(追贈)。宮松関三郎八段門下[1]千葉県一宮町出身[1]日本将棋連盟理事・奨励会幹事を務めた[1]

経歴

1938年、宮松関三郎門下となる。1943年に四段に昇段[1]

戦後の1946年順位戦C級クラスに参加し、B級へ昇級するなど活躍していたが、体調悪化により第14期順位戦を最後に1960年引退。

同1960年5月、癌性肋膜炎で死去(享年46)[1][2]

人物

  • 没後の孫に、のちに十八世名人有資格者となる将棋棋士、森内俊之がいる。
  • 弟子はいないが、名古屋出身の山田道美金子金五郎門下だったが金子が名古屋在住であったため、1950年に東京に上京後、京須の道場に通って実力をあげ[3]、また亰須の紹介で同1950年に奨励会に入った[4]
  • プロ入り前の経歴として、日本紙業就職後に戦地へ赴き、胸に貫通銃創を受け帰還した。のち日日新聞アマ名人戦に優勝[1]
  • 三軒茶屋の将棋道場で指導にあたる[1]。京須の没後は上述の山田道美が土日に指導に入り道場再建の一助とした[5]

昇段履歴

  • 1938年00月00日:入門
  • 1943年00月00日:四段
  • 1947年05月10日:五段(順位戦C級下位)
  • 1948年04月01日:七段へ跳び昇段(順位戦B級昇級)
  • 1960年00月00日:引退 [6]
  • 1960年05月02日:死去
  • 1973年11月03日:八段(追贈)

関連項目

脚注

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出典

  1. ^ a b c d e f g 『近代将棋 1990年7月号「名棋士の思い出 京須行男八段のこと/ 原田泰夫」』、120-123頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/6047195/1/63 
  2. ^ 『近代将棋 1960年6月号「京須七段逝く」』近代将棋社/国立国会図書館デジタルコレクション、86-88頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/6046836/1/46 
  3. ^ 『山田道美将棋著作集 8巻』(大修館書店)P.8-13
  4. ^ 『山田道美将棋著作集 8巻』(大修館書店)P.55
  5. ^ 『近代将棋 1960年7月号「京須道場の再建に」』近代将棋社/国立国会図書館デジタルコレクション、121頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/6046837/1/63 
  6. ^ 『近代将棋 1960年5月号「昭和34年度 第14期順位決定戦時成績表 B級II組」』近代将棋/国立国会図書館デジタルコレクション、13頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/6046835/1/7 
日本将棋連盟所属 引退棋士および退会者
1930年代
引退者
1940年代
引退者
1950年代
引退者
1960年代
引退者
1970年代
引退者
1980年代
引退者
1990年代
引退者
2000年代
引退者
2010年代
引退者
2020年代
引退者
退会者

引退棋士 全168名(日本将棋連盟所属、棋士番号割当者〈※番号なし、人数に含めず〉、うち故人101〈下線表記〉)、退会者2名。
詳細は将棋棋士一覧を参照
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