伊香具神社
伊香具神社 | |
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中門 | |
所在地 | 滋賀県長浜市木之本町大音688 |
位置 | 北緯35度30分16.2秒 東経136度12分07.6秒 / 北緯35.504500度 東経136.202111度 / 35.504500; 136.202111座標: 北緯35度30分16.2秒 東経136度12分07.6秒 / 北緯35.504500度 東経136.202111度 / 35.504500; 136.202111 |
主祭神 | 伊香津臣命 |
社格等 | 式内社(名神大) 旧県社 |
創建 | (伝)天武天皇白鳳10年以前 |
本殿の様式 | 一間社流造 |
例祭 | 4月6日 |
主な神事 | オコナイ(2月24日) |
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伊香具神社(いかぐじんじゃ)は、滋賀県長浜市木之本町大音にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は県社。神紋は「上藤」。
湖北随一の名社と称される。2月24日にオコナイが催される。
祭神
『近江国風土記』逸文中の羽衣伝説に登場する「伊香刀美」と同一であるといい、五穀豊穣の神徳を有すという。
歴史
上古、当地が未開の湖沼地であった頃、祭神が来て開拓し、その後子孫を守護するために鎮座したといい(『近江輿地志略』)、天武天皇の白鳳10年以前に子孫である伊香宿祢豊厚が社殿を建立したという(『神社由緒記[1]』)。
貞観元年(859年)に従五位上勲八等から従四位下に昇叙され[2]、同8年には従四位上に昇り[3]、延喜の制で名神大社に列した。社伝によれば、寛平7年(895年)に菅原道真が法華経や金光明経を手写して納め、同時に「正一位勳一等大社大明神金剛覚印菩薩」の勅額が下賜されたという[4]。
その後足利尊氏が200石の社領を寄せて正月、5月、9月の各18日に祈祷を行うよう依頼し、浅井氏も庇護を加えたが、賤ヶ岳の戦いの兵火に罹って社殿、古記録を焼失、社領も没収された[4]。
明治8年(1875年)郷社に列し、同32年県社に昇格、同40年には神饌幣帛料供進神社に指定された。
境内
- 本殿・中門
- 伊香式鳥居
- 境内入り口
- 大鳥居
摂末社
境内社
- 奥之宮
- 三之宮
- 白山神社
境外社
- 意太神社 - 式内社。
祭事
- オコナイ(2月24日)
- 例祭(4月6日)
脚注
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参考文献
- 西川丈雄「伊香具神社」(『日本の神々 神社と聖地』第5巻《新装復刊》、白水社、平成12年刊所収)
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、伊香具神社に関連するカテゴリがあります。
- 伊香具神社 - 滋賀県神社庁
- 伊香具神社 - 國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」
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