土屋詮教
土屋 詮教(つちや せんきょう、1872年 7月16日- 1956年)は、日本の仏教学者。専門は日本仏教史。極東と号す。
略歴
- 明治5年(1872年)、福島県福島市の浄土真宗本願寺派康善寺に生まれる。
- 明治29年(1896年)、早稲田大学文科を卒業。
- 明治30年(1897年)から明治32年(1899年)まで、京都の文学寮教授。
- 明治32年(1899年)、『明教新誌』記者。
- 明治33年(1900年)、『東京朝日新聞』記者、曹洞宗中学林講師となる。
- 明治35年(1902年)から明治37年(1904年)まで、広島の第四仏教中学講師となる。
- 明治37年(1904年)から明治39年(1906年)まで、東京の第一仏教中学に勤務する。
- 明治38年(1905年)、早稲田大学講義録編輯主任として赴任。後に講師を兼ねる。
- 大正7年(1918年)、早稲田大学主事となる。
- 早稲田大学仏教青年会の監督をつとめ、同会の発展の基礎を築いた。
- 昭和4年(1929年)に第1巻の刊行された『佛教年鑑』の編集責任者をつとめ、当時における仏教の教勢をつぶさに調べた。同年鑑はその後昭和13年(1938年)まで全9巻が発行され、日本の近代における仏教の歴史的展開を研究する上で、きわめて貴重な史料となっている。
- 昭和31年(1956年)、死去。享年84。