大戸神社
大戸神社 | |
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本殿(左)と拝殿(右) | |
所在地 | 千葉県香取市大戸521 |
位置 | 北緯35度53分02.83秒 東経140度27分45.07秒 / 北緯35.8841194度 東経140.4625194度 / 35.8841194; 140.4625194 (大戸神社)座標: 北緯35度53分02.83秒 東経140度27分45.07秒 / 北緯35.8841194度 東経140.4625194度 / 35.8841194; 140.4625194 (大戸神社) |
主祭神 | 天手力男命 |
社格等 | 香取神宮摂社 旧県社 |
創建 | (伝)第12代景行天皇40年 |
例祭 | 4月7日 |
主な神事 | 御花祭り(1月) |
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大戸神社(おおとじんじゃ)は、千葉県香取市大戸にある神社。香取神宮摂社で、旧社格は県社。
祭神
- 天手力男命 (あまのたぢからおのみこと)[1]
一説として経津主神(香取神宮祭神)の父母神である磐筒男神・磐筒女神とする伝えもある[2]。
歴史
創建
社伝によれば、景行天皇40年の日本武尊東征の際、蝦夷征伐祈願のために大戸の地に勧請したのが創建という[1]。その後数度の遷宮を経て、白雉元年(650年)に現在地に社殿が造営されたと伝わる。
一方『香取志』では、天武天皇の代での創建と伝える[3]。
概史
古来より香取神宮と関係の深い神社であり、当社の神主職・社領は神宮の大禰宜大中臣氏により相伝されていた[3]。天正年間(1573年-1592年)の古文書によると、当社には単独に神主・大禰宜等の神官組織があったと考えられる[3]。
正応2年(1289年)、明徳4年(1396年)、寛文4年(1665年)には社殿の造営があった[1]。後小松天皇の時には、社領1万貫が定められたという[1]。江戸時代には、香取神宮に江戸幕府から与えられた朱印社領1,000石の内から100石が与えられていた[3]。宝永4年(1707年)、第5代将軍徳川綱吉によって改築されたのが現在の社殿とされる[1]。
明治6年(1873年)、近代社格制度において県社に列した[1]。
祭事
- 元旦祭 (1月1日)[4]
- 御花祭り (1月第2土曜・日曜)
- 御例祭 (4月7日)
- 御田植祭 (4月第3日曜)
- 献穀祭 (11月23日)
文化財
千葉県指定有形文化財
- 羅龍王面・納曽利面 3面(彫刻) - 昭和30年12月15日指定。
- 和鏡 3面(工芸品) - 昭和55年2月22日指定。
現地情報
- 所在地
- 交通アクセス
脚注
参考文献
- 『日本歴史地名体系 千葉県の地名』(平凡社)佐原市 大戸神社項
- 『新編香取神宮小史』(香取神宮社務所、1995年)p. 36
関連項目
外部リンク
- 大戸神社 - ウェイバックマシン(2003年5月1日アーカイブ分)(公式サイト)
- 大戸神社(神社のひろば<千葉県神社庁監修>)