大沢努

大沢 努(おおさわ つとむ)は、日本ギャング

「世界一過酷な刑務所」と言われているフィリピンの2万人を超える囚人が収容されたモンテンルパ刑務所で、19年にわたり服役し、史上初の外国人コマンダーとしてプリズン・ギャング(刑務所内のギャング組織)」の頂点に立った日本人である[1]

来歴・人物

1975年、高校卒業後に旅行代理店に勤めていた彼は、23歳の若さで独立し、フィリピンで日本人相手の買春ツアーに力を注いだ。が、78年にパサイ市の置屋に嵌められ拳銃不法所持で逮捕。父親が金を工面し無罪放免となるも勘当される。

その後、日本へ戻った大沢は、フィリピン・コネクションを活かし多くの「ジャパゆきさん」を入国させ、80年に再度マニラへ渡る。

1986年5月、大沢は日本人観光客の営利誘拐、不法監禁の罪で再び逮捕。そして、世界最悪とも言われるモンテンルパ刑務所に入所する。

1993年4月、大沢はスプートニクのコマンダーに任命。

2005年2月9日、モンテンルパ刑務所から出所。

脚注

  1. ^ “フィリピンの刑務所で頂点に立った日本人”. livedoorニュース (2010年8月4日). 2023年5月2日閲覧。

参考文献

  • 『バタス――刑務所の掟』(著:藤野眞功/講談社)
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