奈良仏師
奈良仏師(ならぶっし)は、平安時代末期(11世紀末期)頃から、興福寺に拠点を置いて活動した仏師集団。御寺仏師、南都仏師、南京仏師などともいう。
概要
天平彫刻や定朝様の伝統を身につけつつ、京都とは異なる独自の作風を生み出した。平家没落後は武士に敬遠された京都の仏師たちとは異なり、鎌倉幕府の庇護を受けて発展し、定朝の孫とされる頼助を始祖として康助、康朝、成朝と父子相承したが、成朝以降は直系が途絶え、慶派の康慶や善派の善慶に継承された。
時は下って、豊臣秀吉の命で、金峯山寺の蔵王権現立像や、方広寺大仏(京の大仏)の造仏にあたった奈良仏師の宗貞・宗印兄弟は、自らが造仏した仏像の胎内銘に自身の肩書として「南都大仏師」と署名している[1][2]。
脚注
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参考文献
- 西村公朝・熊田由美子『運慶 仏像彫刻の革命』(新潮社、1997年)
関連項目
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