奈良姫
奈良姫(ならひめ、生年不明 - 慶長2年8月27日(1597年10月8日))は、安土桃山時代の女性。太閤豊臣秀吉の宿老の蜂須賀正勝の娘。正勝の家老の賀島長昌の正室。名の奈良は『蜂須賀家記』による[1]。
生涯
蜂須賀正勝の長女として生まれる。母は正勝の正室の大匠院[1]。弟妹には蜂須賀家政、糸(黒田長政正室)がいる。
はじめは織田家家臣で尾張三渕村領主・中山源八郎直親に嫁いだが、直親が元亀元年(1570年)の金ヶ崎の戦いで討死したために死別した[1]。直親は23歳だった[2]。
その後、織田家家臣の賀島弥右衛門長昌に再嫁してその正室となった[1]。長昌との間には、元亀3年(1572年)に嫡男・政慶が生まれ、他3人の娘(山田宗登室、益田長行室、益田正高室)がいる。
長昌は阿波国を与えられた蜂須賀家政の家老となり[2]、正勝が亡くなった2年後の天正16年(1588年)に先に亡くなった。
慶長2年(1597年)8月27日、死去。没年齢不明[1]。法諱は日本覺院殿堯齢榮舜[1]。
墓所は夫と同じく徳島県那賀郡石塚村(現在の阿南市富岡町)の金龍山本覚寺に葬られた[3]。
脚注
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