小迫次男
小迫次男 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県 |
生年月日 | (1951-11-14) 1951年11月14日(72歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
所属厩舎 | 東京→美浦・本郷重彦(1971 - 1984) 美浦・フリー(1984 - 1993) 美浦・本郷一彦(1993 - 1995) |
初免許年 | 1971年3月6日 |
免許区分 | 平地(初期には障害免許も保持) |
騎手引退日 | 1995年4月30日 |
重賞勝利 | 7勝 |
通算勝利 | 321勝 |
テンプレートを表示 |
小迫 次男(こさこ つぎお、1951年11月14日 - )は、鹿児島県出身の元騎手。
経歴
1971年3月6日に東京・本郷重彦厩舎からデビューし、中山第10競走4歳100万下・ヒカリダイオー(11頭中3着)で初騎乗を果たす。4月10日の中山第3競走障害5歳以上200万下・レブロンで初勝利を挙げ、1年目の同年から2桁の15勝(平地8勝, 障害7勝)をマーク。3年目の1973年には2年ぶり2度目の2桁となる16勝をマークするが、障害9勝と平地(7勝)の勝ち星を上回った。同年から1975年まで3年連続2桁勝利を記録し、12勝を挙げた1975年は平地で11勝を挙げ、障害は1勝に終わる。8勝に終わった1976年には障害0勝に終わり、13勝を挙げた1977年には福島大賞典で12頭中10番人気のメイジガルボに騎乗して重賞初制覇。2年連続13勝の1978年には朝日杯3歳S・シーバードパークでビンゴガルーの3着とし、1979年はクイーンC→4歳牝馬特別(西)と連勝し、1番人気に支持された桜花賞では伏兵ホースメンテスコの逃げ切りを許す2着に終わる。秋はクイーンS3着、スプリンターズS2着であった。1979年から平地の騎乗に専念し、1980年から1992年まで13年連続2桁勝利を記録。1984年からはフリーとなるが、自己最多の29勝を挙げた1985年にはブラックスキーで福島記念を制す。1986年にはランニングフリーで福島記念を連覇し、ハセベルテックスで小倉3歳S・京成杯3歳S2着とし、1987年には第1回フラワーカップを制す。本郷一彦厩舎所属となった1993年は9勝に終わるが、パルセイトで4歳牝馬特別(東)3着、14頭中11番人気のトラストカンカンで小倉3歳S3着と重賞で見せ場を作る。1994年は5勝に終わり、1995年は3月11日の中山第1競走4歳未勝利・コンチネンタルが最後の勝利となった。4月30日の東京第12競走4歳以上500万下・ブライトハンター(11頭中8着)が最後の騎乗となった。同年引退。
騎手成績
通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 298 | 298 | 312 | 2854 | 3762 | .079 | .158 |
障害 | 23 | 18 | 27 | 9 | 160 | .144 | .256 |
計 | 321 | 316 | 339 | 2946 | 3922 | .082 | .162 |
主な騎乗馬
- メイジガルボ(1977年福島大賞典)
- シーバードパーク(1979年クイーンカップ・4歳牝馬特別 (西))
- ライトオスカー(1981年アラブ大賞典 (春))
- ブラックスキー(1985年福島記念)
- ランニングフリー(1986年福島記念)
- ハセベルテックス(1987年フラワーカップ)
脚注
- 表示
- 編集