尾張大海媛

尾張大海媛(おわりのおおあまひめ)は、古事記に登場する人物で、別名、意富阿麻比売(おおあまひめ)[1]

崇神天皇(すじんてんのう)の妃の一人[2]

解説

古事記によると、尾張大海媛と崇神天皇の間には、大入杵命(おおいりのきのみこと)、八坂之入日子命(やさかのいりひこのみこと)、沼名木之入日売命(ぬなきのいりひめのみこと)、十市之入日売命(とおちのいりひめのみこと)の4人の子がいたとされている[3]

脚注

  1. ^ 平成 29 年 7 月 15 日 大来(邑久)の古代史を彩る三人の女性
  2. ^ http://www.fujishuppan.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2011/10/koushitu.pdf
  3. ^ https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/618/618PDF/kanzaki.pdf

外部リンク