本田庄太郎
本田庄太郎(ほんだしょうたろう、1893年1月30日 - 1939年10月10日)は童画画家。
静岡県浜松市に生まれる。高等小学校卒業後、17歳で上京。太平洋画会研究所(現在の「太平洋美術会」)で石井柏亭らに絵の技術、デザインを学ぶ[1] [2]。
1913年頃から児童雑誌の挿絵を描く仕事を始める。日本童画家協会に入らなかったが、児童雑誌「コドモノクニ」では最も掲載回数が多い作家であり人気画家の一人であった。
- 『コドモノクニ』1922年9月号
- 「カゼノフクヒ」『コドモノクニ』1923年1月号
- 『コドモノクニ』1923年5月号
- 「ニンギヤウノ ママゴト」『コドモノクニ』1925年5月号
2021年7月1日から10月17日に出身地浜松にある浜松文芸館で「本田庄太郎展」が開催された[3]。
絵本
脚注
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