李旦
この項目では、17世紀の明の海商である李旦について説明しています。この名が本名である唐の第5代皇帝については「睿宗 (唐)」を、後にこの名前に改名した朝鮮太祖については「李成桂」をご覧ください。 |
李 旦(り たん、? - 1625年8月12日、英名:Andrea Dittis)は、17世紀に活躍した中国人貿易商人(海商)。キリスト教徒でもあったので、アンドレア李旦・唐人カピタンとも呼ばれる。福建省泉州府同安県の人。はじめマニラを拠点とするが、のちに日本の平戸に移住。海商である王直の配下であったが、王直の死後、彼が築いた貿易ルートを受け継ぎ、幕府から朱印状を得て朱印船貿易に携わり、12隻の船を渡航させた。平戸における中国人商人の首領であり、イギリス商館にも彼の屋敷が使われた[1]。李旦の死後その勢力は鄭芝龍が継承した[2]。
脚注
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