李済馬

李 済馬
各種表記
ハングル 이제마
漢字 李 濟馬
発音: イ・ジェマ
RR式 Yi Je-ma
MR式 Yi Chema
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李 済馬(イ・ジェマ、이제마、1837年4月23日 - 1900年11月12日)は、李氏朝鮮大韓帝国の武臣、医学者。字は子明、号は東武。

人物

咸鏡道咸興出身。早くから乗馬や弓術を熟練し、1875年科挙の武科に及第し、翌年には宮廷を護衛する武衛都統使に入衛し、武衛将に就く。1886年に鎮海県監となる。乙未事変の翌1896年に咸興で発生した崔文煥(朝鮮語版)の反乱を鎮圧し、正三品に叙され、通政大夫宣諭委員を贈られた。

また医学にも造詣が深く、「四象医学」を考案、1898年に致仕すると、翌年には咸興で保元局を開き、病人の治療に従事した。著書に「東医寿世保元」「格致藁」などがある。

参考文献

  • 「アジア人物史 第8巻」集英社 2022年
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