浄山寺
浄山寺 | |
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所在地 | 埼玉県越谷市野島32 |
位置 | 北緯35度55分33.0秒 東経139度44分50.3秒 / 北緯35.925833度 東経139.747306度 / 35.925833; 139.747306座標: 北緯35度55分33.0秒 東経139度44分50.3秒 / 北緯35.925833度 東経139.747306度 / 35.925833; 139.747306 |
山号 | 野嶋山 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 地蔵菩薩 |
創建年 | 貞観2年(860年) |
開山 | 慈覚大師円仁 |
文化財 | 木造地蔵菩薩立像(重要文化財)、野島浄山寺の大鰐口、浄山寺の朱印状(以上、越谷市指定文化財) |
法人番号 | 9030005010116 |
浄山寺 浄山寺 (埼玉県) | |
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歴史
860年(貞観2年)、慈覚大師円仁によって開山された。当初は天台宗の寺院であり、「慈福寺」と称していた。本尊の地蔵菩薩は円仁自ら彫ったものと伝えられている[1][2]。
1591年(天正19年)、関東地方の新領主となった徳川家康より、宗派を曹洞宗に改めて「浄山寺」に改称するように命じた[2]。
家康はその際、寺領300石を与えようとしたが、住職は「多すぎる」として辞退した。そこで家康は、懐から懐紙(鼻紙)を取り出し、「三石」と書き直したという。この朱印状は「鼻紙朱印状」と呼ばれ、当寺が今も所蔵している[1]。
文化財
- 木造地蔵菩薩立像(重要文化財 平成28年8月17日指定)[3]
- 野島浄山寺の大鰐口(越谷市指定文化財 昭和42年1月11日指定)[4]
- 浄山寺の朱印状(越谷市指定文化財 昭和47年10月25日指定)[4]
交通アクセス
- 路線バス野島停留所より徒歩6分。
脚注
[脚注の使い方]
- ^ a b c 敏蔭英三 写真、秋山喜久夫 文『写真紀行 埼玉の寺 Ⅲ』埼玉新聞社、1982年、157-162p
- ^ a b 寺院越谷市
- ^ 木造地蔵菩薩立像文化庁
- ^ a b 越谷市の指定文化財越谷市
参考文献
- 敏蔭英三 写真、秋山喜久夫 文『写真紀行 埼玉の寺 Ⅲ』埼玉新聞社、1982年
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