渡瀬憲明
渡瀬憲明 わたせ のりあき | |
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生年月日 | 1925年10月8日 |
出生地 | 熊本県八代市 |
没年月日 | (1998-08-01) 1998年8月1日(72歳没) |
出身校 | 明治大学 |
前職 | 衆議院議員秘書 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 | 勲三等旭日中綬章 |
選挙区 | 熊本県第2区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1990年2月19日 - 1996年9月27日 |
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渡瀬 憲明(わたせ のりあき、1925年10月8日 - 1998年8月1日)は、日本の政治家。衆議院議員。熊本県八代市出身。旧制八代中学、明治大学法学部卒業。
来歴・人物
坂田道太の秘書を経て政界入り。1990年、第39回衆議院議員総選挙に坂田の後継者として旧熊本2区から自由民主党公認で立候補し、初当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・藤井裕久・鈴木俊一・亀井久興・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・河村建夫・小林興起・塩谷立・古屋圭司・細田博之・松岡利勝・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦・簗瀬進など)。2期務め、河本派に所属した。この間、防衛政務次官、衆議院文教委員会理事、衆議院安全保障委員会委員、衆議院厚生委員会委員、石炭対策特別委員会委員などの要職を歴任。
小選挙区制導入後初の総選挙となった1996年の第41回衆議院議員総選挙では熊本5区から出馬するも、新進党公認の矢上雅義に敗れて議席を失った(なお矢上は新進党分裂後に自民党に入党し、渡瀬の事実上の後継者となった)。
1998年8月1日、72歳で死去。勲三等旭日中綬章を受章した。
エピソード
- 1996年の総選挙で小選挙区で落選。比例区でも24位と次点に終わった。1998年、渡瀬は死去した。翌1999年に比例区で当選した東家嘉幸が議員辞職。この時点で渡瀬が生きていれば繰り上げ当選になっていた(渡瀬より下位の林田彪が繰り上げ当選)。
- 2000年に内閣総理大臣在職中の森喜朗が、当時まだ存命中だった坂田道太のことを取り上げ、「亡くなられた坂田さん……」と発言。のちに撤回したが、その際、坂田と渡瀬を混同して取り間違えた、と弁明した。
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