甲南町上馬杉
甲南町上馬杉 | |
---|---|
甲南町上馬杉 甲南町上馬杉の位置 | |
北緯34度52分30.943秒 東経136度12分1.548秒 / 北緯34.87526194度 東経136.20043000度 / 34.87526194; 136.20043000 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 滋賀県 |
市町村 | 甲賀市 |
地域 | 甲南地域 |
面積 | |
• 合計 | 2.328743605 km2 |
人口 | |
• 合計 | 145人 |
• 密度 | 62人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | 520-3303[3] |
市外局番 | 0748(水口MA)[4] |
ナンバープレート | 滋賀 |
甲南町上馬杉(こうなんちょうかみますぎ)は、滋賀県甲賀市にある地名。
地理
甲賀市甲南町の東南端に位置し、東は甲賀町高嶺・甲賀町和田、南は三重県伊賀市西湯舟・三重県伊賀市東湯舟、西は甲南町下馬杉、北は甲賀町滝・甲賀町毛枚に接する。甲南丘陵を杣川支流の浅野川が東西に流れて開析し、丘陵斜面や浅野川沿いに集落が立地する。滋賀県道134号上馬杉野尻線、滋賀県道135号上馬杉上野線が貫通するほか、東湯舟に越える市道南谷線、市道上馬杉手力線が通じる。
歴史
江戸時代の地誌「近江輿地志略」に「馬杉」の地名は聖徳太子が馬を杉の木につないだことによると記される[5]。中世は馬杉荘に属したと考えられる。同荘は平安時代末に京都の広隆寺領「馬椙荘」として「東寺百合文書」にみえる。その後、鎌倉時代から室町時代まで同寺の寺領であった。土豪として馬杉氏が台頭し、複数の中世城館跡が残る。1585年の甲賀ゆれと水口岡山城築城によりその支配下に入ったと考えられる。1600年から幕府領となり、1698年旗本内藤氏領となり明治維新に至る[5]。
世帯数と人口
2019年(令和元年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
甲南町上馬杉 | 58世帯 | 145人 |
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 甲賀市立甲南第三小学校 | 甲賀市立甲南中学校 |
交通
- 滋賀県道134号上馬杉野尻線
- 滋賀県道135号上馬杉上野線
- 市道南谷線
- 市道上馬杉手力線
- 滋賀県道134号上馬杉野尻線
- 滋賀県道135号上馬杉上野線
施設
- 油日神社(甲南町) - 981年鎮座。橘朝臣敏保卿の創祀という。
- 誓蓮寺
- 馬杉城跡
- 辻月丹の顕彰碑
その他
日本郵便
脚注
- ^ “滋賀県甲賀市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年10月22日閲覧。
- ^ a b “令和元年 世帯数・人口統計 - 2019年9月末”. 甲賀市 (2019年9月30日). 2019年10月22日閲覧。
- ^ a b “甲南町上馬杉の郵便番号”. 日本郵便. 2019年10月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年10月22日閲覧。
- ^ a b 甲賀市史 第8巻 甲賀市事典. 甲賀市. (2016年12月12日). pp. 199-200
- ^ “【小中学校】 通学区域について”. 甲賀市 (2017年4月1日). 2019年10月22日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年10月22日閲覧。
甲賀市の町・字 | |
---|---|
水口町 | 暁 | 秋葉 | 朝日が丘 | 綾野 | 泉 | 今郷 | 岩坂 | 植 | 宇川 | 牛飼 | 宇田 | 梅が丘 | 春日 | 北泉 | 北内貴 | 北脇 | 貴生川 | 京町 | 嶬峨 | 古城が丘 | 酒人 | 笹が丘 | さつきが丘 | 三大寺 | 三本柳 | 下山 | 松栄 | 新城 | 新町 | 神明 | 城東 | 城内 | 杣中 | 高塚 | 高山 | 中畑 | 中邸 | 名坂 | 西林口 | 日電 | 八光 | 八田 | 伴中山 | 東名坂 | 東林口 | ひのきが丘 | 本町 | 本丸 | 松尾 | 的場 | 水口 | 南林口 | 宮の前 | 虫生野 | 虫生野中央 | 虫生野虹の町 | 本綾野 | 元町 | 八坂 | 山 | 山上 | 鹿深 | 和野 |
土山町 | |
甲賀町 | |
甲南町 | |
信楽町 | |
カテゴリ |
- 表示
- 編集