立石岬灯台

立石岬灯台
立石岬灯台(2016年11月12日撮影)
立石岬灯台の位置(福井県内)
立石岬灯台
航路標識番号
[国際標識番号]
1047 [M7246][1]
位置 北緯35度45分42秒 東経136度01分07秒 / 北緯35.76167度 東経136.01861度 / 35.76167; 136.01861座標: 北緯35度45分42秒 東経136度01分07秒 / 北緯35.76167度 東経136.01861度 / 35.76167; 136.01861
所在地 福井県敦賀市字立石エリヶ崎
塗色・構造 白色 塔形 石造[1]
レンズ LB-M30型灯器[1]
灯質 単閃白光 毎10秒に1閃光
実効光度 150,000[1] cd
光達距離 20.5海里(約38km)[1]
明弧 60度から319度まで
塔高 7.95 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 122[1] m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1881年明治14年)7月20日[1]
管轄 海上保安庁
第八管区海上保安本部
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立石岬灯台遠望

立石岬灯台(たていしみさきとうだい)は、福井県敦賀市にある立石岬の突端に立つ白亜塔形石造の中型灯台。周辺は、若狭湾国定公園に指定され、リアス式海岸の造形する風光明媚の地。また、敦賀市の市章のデザインにもなっている。

映画『宣戦布告』のロケ地にもなった[1]

歴史

  • 1880年明治13年)4月 - 起工。
  • 1881年(明治14年)6月 - 竣工、7月20日に初点灯した[2]が、当時は石油ランプを使用していた。全国の主要灯台のうち36番目、日本海沿岸では角島灯台山口県)に次ぐ、2番目のもの[1]。また、日本人のみで建設された最初の西洋式灯台として知られる。総工費は当時のお金で22,600円かかり、石材は現地産の花崗岩。建設当初の名称は「立石岬灯台」だった。
  • 1904年(明治27年) - 「立石埼灯台」と改称。
  • 1914年大正3年) - ガス灯アセチレンガス)に変わる。
  • 1938年昭和13年) - 電化される。
  • 1960年(昭和35年) - フランス製不動フレネル式レンズから、LB-40型の回転式灯器に交換される。それまでのレンズは、敦賀市立博物館に展示されている。
  • 1961年(昭和36年) - 無人化される[3]
  • 2002年平成14年)11月 - 再び「立石岬灯台」に名称が戻された。
  • 2017年(平成29年)5月2日 - 灯台建屋と囲障が登録有形文化財に登録された[4][5][6]

付属施設

  • 沿岸域情報提供システム(MICS)による観測箇所

交通アクセス

福井県道141号竹波立石縄間線の終点から徒歩で500メートルとなるが、停留所はその手前にあるため、実際に徒歩で移動する距離はそれよりもやや長い。

※敦賀駅から立石まで約40分[8]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『灯台旅 -悠久と郷想のロマン-』(2023年11月18日、藤井和雄著、成山堂書店発行)77頁。
  2. ^ 明治14年7月1日工部省布達第10号(『法令全書 明治14年』内閣官報局、pp.889-890.)
  3. ^ ナギヒコ (2020年11月29日). “つい見に行ってしまった立石岬灯台の「かっこよさ」”. JBpress. https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63066 
  4. ^ “文化財詳細 立石岬灯台”. 福井の文化財. 福井県. 2022年7月20日閲覧。
  5. ^ 立石岬灯台 - 文化遺産オンライン文化庁
  6. ^ 立石岬灯台囲障 - 文化遺産オンライン文化庁
  7. ^ “立石岬灯台”. 敦賀観光協会. 2022年7月20日閲覧。
  8. ^ “敦賀市コミュニティバス 常呂線”. 敦賀市コミュニティバス. 敦賀市. 2022年7月20日閲覧。

周辺情報

関連項目

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外部リンク

  • 立石岬灯台 - 敦賀観光協会
  • 立石岬灯台 - 敦賀海上保安部