竹村鶴叟
竹村 鶴叟 | |
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誕生 | 京都 |
死没 | 1867年(慶応3年) 尾張藩名古屋城東の飯田町16番 |
職業 | 俳諧師 |
ジャンル | 俳句 |
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竹村 鶴叟(たけむら かくそう、- 1867年〈慶応3年〉)は、江戸時代末期の尾張俳人。別号に米翁。成田蒼虬の門。京都生まれで、尾張藩重臣織田氏の家令として、名古屋に住した。孫は美人舞踊家で著名な西川嘉義。坪内逍遥は妹の孫[1]。
来歴
京都生まれ。江戸時代末期に活躍した成田蒼虬門の俳人。尾張藩重臣織田氏の家令として、名古屋に住んだ。
息子は尾張藩士竹村光慶、孫は美人舞踊家の西川嘉義。嘉義に俳諧を指導した[1]。鶴叟の妹リオは、坪内逍遥の祖母である[1]。
1867年(慶応3)没。
1872年(明治5年)、孫の嘉義は9歳で元尾張藩士織田車友(おだしゃゆう)と妻・いく(西川幾)の養女となった[2]。車友は俳人で通称を忠右衛門、尾張藩の大番組に属した[3]。
作品
- 句集『楽しみ草』岡田梅間編
脚注
- ^ a b c 長田若子 2012, p. 61.
- ^ 長田若子 2012, p. 63.
- ^ 名古屋市役所 1981, p. 418.
参考文献
- 芭蕉と蕉門俳人、大礒義雄[1]
関連項目
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