花蓮港神社

花蓮港神社
所在地 台湾花蓮港庁花蓮港市米崙山
位置 北緯23度59分6.6秒 東経121度36分40.1秒 / 北緯23.985167度 東経121.611139度 / 23.985167; 121.611139 (花蓮港神社)座標: 北緯23度59分6.6秒 東経121度36分40.1秒 / 北緯23.985167度 東経121.611139度 / 23.985167; 121.611139 (花蓮港神社)
主祭神 能久親王
大国魂命
大己貴命
少彦名命
社格 県社
創建 1915年大正4年)
地図
花蓮港神社の位置(台湾内)
花蓮港神社
花蓮港神社
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花蓮港神社(かれんこうじんじゃ)は、日本統治時代台湾花蓮港庁花蓮港市(現花蓮県花蓮市)にあった神社である。社格県社で、花蓮港庁の中心的神社であった。

1915年大正4年)8月19日、当時の花蓮港市街の北東部、美崙山の中腹に創建された。北白川宮能久親王と開拓三神(大国魂命大己貴命少彦名命)が祀られていた。1921年(大正10年)3月2日に県社に列格した。

第二次大戦の日本の敗戦後は、鄭成功劉永福丘逢甲ら台湾の英雄を祀る祠となり、1981年民国70年)に元の社殿は取り壊され、中国北方宮殿様式の美崙山忠烈祠(花蓮港忠烈祠)が建設された。

写真に見る、花蓮港神社の時代変遷

  • 花蓮港神社拝殿前の景色、鳥居。
    花蓮港神社拝殿前の景色、鳥居
  • 花蓮港神社から眺める田園景色。荳蘭(タウラン。現在の田浦駅)、吉野村(吉安郷)一帯。
    花蓮港神社から眺める田園景色。荳蘭(タウラン。現在の田浦駅)、吉野村(吉安郷)一帯。
  • 大正時代に発行された絵葉書による、花蓮港神社全景。
    大正時代に発行された絵葉書による、花蓮港神社全景。
  • 神社前の橋「宮の橋」上の、花蓮港分屯大隊隊員。
    神社前の橋「宮の橋」上の、花蓮港分屯大隊隊員。
  • 花蓮港神社全景。美崙渓にかかる吊り橋は、当時は「宮の橋」、現在は「尚志橋」と呼ばれる。遠くに花蓮港神社を望む。
    花蓮港神社全景。美崙渓にかかる吊り橋は、当時は「宮の橋」、現在は「尚志橋」と呼ばれる。遠くに花蓮港神社を望む。
  • 昭和の天長節(昭和天皇誕生日)で、参拝に列成す人々。30歳以上の男性が多く、多くは洋装、制服姿である。
    昭和の天長節昭和天皇誕生日)で、参拝に列成す人々。30歳以上の男性が多く、多くは洋装、制服姿である。
  • 昭和3年(1928年)10月8日、花蓮港神社を訪れて参拝した川村竹治総督。
    昭和3年(1928年)10月8日、花蓮港神社を訪れて参拝した川村竹治総督。
  • 昭和16年(1941年)『花蓮港中學校第一回卒業記念写真帳』より、花蓮港中學校の教師、生徒による神社参拝。
    昭和16年(1941年)『花蓮港中學校第一回卒業記念写真帳』より、花蓮港中學校の教師、生徒による神社参拝。
  • 花蓮港神社本殿の古い社殿では、改築されていない状況がうかがえる。
    花蓮港神社本殿の古い社殿では、改築されていない状況がうかがえる。
  • 花蓮港神社は当時の市街で一番の高所である。境内から市街を一望できた。写真は1930年代の市街。
    花蓮港神社は当時の市街で一番の高所である。境内から市街を一望できた。写真は1930年代の市街。
  • 花蓮港神社の祭礼。
    花蓮港神社の祭礼。
  • 美崙山上から望む花蓮港神社、そして花蓮港の市街地。台湾東部随一の都市として繁栄していた。
    美崙山上から望む花蓮港神社、そして花蓮港の市街地。台湾東部随一の都市として繁栄していた。
  • 昭和7年(1932)に、現在の尚志橋たもとで撮影された写真。
    昭和7年(1932)に、現在の尚志橋たもとで撮影された写真。
  • 「螢雪の級友」と題された写真。昭和18年(1943年)1月30日、花蓮港庁立花蓮港工業学校(現在の国立花蓮高級工業職業学校、通称・花蓮高工)の機械科第一期卒業生。
    「螢雪の級友」と題された写真。昭和18年(1943年)1月30日、花蓮港庁立花蓮港工業学校(現在の国立花蓮高級工業職業学校、通称・花蓮高工)の機械科第一期卒業生。
  • 民國38年(1949年)に撮影された、明礼国校の教師と生徒たち。当時は神社の面影がそのまま残っていた。
    民國38年(1949年)に撮影された、明礼国校の教師と生徒たち。当時は神社の面影がそのまま残っていた。
  • 民國40年(1951年)の「花蓮忠烈祠」。神社の石灯籠がそのまま残っている。後方の吊り橋は台風で破損し、1970年にコンクリート橋にかけ替えられた。
    民國40年(1951年)の「花蓮忠烈祠」。神社の石灯籠がそのまま残っている。後方の吊り橋は台風で破損し、1970年にコンクリート橋にかけ替えられた。
  • 民國40年(1951年)の地震で倒壊した鳥居。後方の尚志橋(宮の橋)も一部破損している。
    民國40年(1951年)の地震で倒壊した鳥居。後方の尚志橋(宮の橋)も一部破損している。
  • 民國51年(1962年)。当時は神社建築が残っていた。
    民國51年(1962年)。当時は神社建築が残っていた。
  • 2006年、尚志橋上より望む美崙山忠烈祠堂。
    2006年、尚志橋上より望む美崙山忠烈祠堂。
  • 花蓮港神社が鎮座していた美崙山南麓には、現在も日本統治時代に植えられたリュウキュウマツが茂っている。2006年撮影。
    花蓮港神社が鎮座していた美崙山南麓には、現在も日本統治時代に植えられたリュウキュウマツが茂っている。2006年撮影。


外部リンク

  • 忠烈祠(花蓮觀光資訊網。日本語)
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