菅沼定氏
凡例 菅沼定氏 | |
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
生誕 | 大永元年(1521年) |
死没 | 慶長9年7月26日(1604年8月21日) |
別名 | 十郎兵衛、信濃守 |
戒名 | 浄幽 |
官位 | 従五位下 |
主君 | 松平清康、広忠、徳川家康 |
氏族 | 菅沼氏 |
父母 | 父:菅沼定広、母:大河内元綱の養女 |
兄弟 | 定継、左衛門次郎、定直、定氏、定仙、奥平貞勝室 |
子 | 定吉 |
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菅沼 定氏(すがぬま さだうじ)は、戦国時代の武将。
略歴
松平氏(徳川氏)に仕え、各地を転戦。徳川家康の代には今川氏との戦いに活躍し、新城城・田峰城の城代を務めた。今川氏滅亡後、武田氏に従属する一門が多い中、徳川氏に留まった。元亀3年(1572年)三方ヶ原の戦いに従軍し、その功績で長谷部国重の脇差と三河国内に所領を与えられた。
脚注
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参考文献
- 「寛政重修諸家譜」巻第302
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