西村栄蔵

西村 栄蔵(にしむら えいぞう、元治元年(1864年)11月 - 昭和35年(1960年11月2日)は、明治期から昭和期にかけて広島市で活躍した政治家である。第20代広島市会議長を務めた。

来歴

元治元年(1864年)11月、安芸国沼田郡横川(現在の広島県広島市西区南三篠町)において西村重太郎の長男として生まれる。明治16年(1883年)に広島監獄監守となる。その後、退官して広島河原町で瓦販売業を開業する。さらに、明治35年(1902年)3月より醤油製造業を始める。

大正2年(1913年)6月に広島市会議員に初当選し、その後昭和4年(1929年)6月までの前後4回当選する。その間の事績として、大正14年(1925年)6月より名誉職市参事会員となり、さらに昭和6年(1931年)7月より昭和8年(1933年)5月まで広島市会議長を務めている。

一方で県政についても、大正3年(1914年)2月広島市選出広島県会議員補欠選挙に当選し、その後昭和2年(1927年)9月まで4期連続当選を果たし、同年10月には市部会議長も務めている[1]

戦後は政治家活動から身を引き、昭和26年(1951年)4月末から昭和35年(1960年)までの約9年間にわたり崇徳学園理事長を務めている。昭和35年(1960年)11月2日、同職在職中に死去。なお、崇徳学園旧1号館の南側に同年10月に設けられた温室は、西村の「生徒達のためになるものを記念として遺しておきたい」という意志に沿って建てられたものであった[2]

出典

  1. ^ 広島市役所編『新修広島市史 第7巻資料編その2』(1960年)、p556
  2. ^ 崇徳学園百二十年史編纂委員会編『崇徳学園百二十年史』(1995年、崇徳学園)、p808
官選
市会議長
公選
市議会議長
  • 寺田豊
  • 伊藤忠男
  • 任都栗司
  • 川本精一
  • 砂原格
  • 秋田正之
  • 永田百太郎
  • 池永清真
  • 柴田重暉
  • 伊藤忠男
  • 任都栗司
  • 木野藤雄
  • 宮本正夫
  • 杉村政太郎
  • 永田百太郎
  • 堀江守
  • 池永清真
  • 浅尾義光
  • 宮本正夫
  • 池永清真
  • 浅尾義光
  • 宮本正夫
  • 八百千頭夫
  • 講元英雄
  • 明星正明
  • 柳坪進
  • 瀬川吉郎
  • 永田明
  • 中本弘
  • 柳坪進
  • 瀬川吉郎
  • 海徳貢
  • 今田智
  • 中本弘
  • 兼桝栄二
  • 平野博昭
  • 浅尾宰正
  • 藤田博之
  • 木島丘
  • 種清和夫
  • 碓井法明
  • 永田雅紀
  • 山田春男
  • 佐々木壽吉