阿摺村

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あすりむら
阿摺村
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 新設合併
阿摺村、足助町、盛岡村、賀茂村→足助町
現在の自治体 豊田市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
東加茂郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 46.15 km2.
総人口 4,274
(愛知県郡市町村勢要覧[1]、1950年10月1日)
隣接自治体 東加茂郡足助町、賀茂村、盛岡村、旭村、西加茂郡猿投町、藤岡村、小原村
阿摺村役場
所在地 愛知県東加茂郡阿摺村大字大蔵字森下28
座標 北緯35度09分50秒 東経137度18分55秒 / 北緯35.16383度 東経137.31531度 / 35.16383; 137.31531座標: 北緯35度09分50秒 東経137度18分55秒 / 北緯35.16383度 東経137.31531度 / 35.16383; 137.31531
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阿摺村(あすりむら[2])は、かつて愛知県東加茂郡にあった

昭和の大合併足助町に編入され、現在の豊田市の一部である。

旧・足助町の北部に該当する山間部の村であった。

沿革

  • 江戸時代末期、この地域は三河国加茂郡であり、天領奥殿藩領、吉田藩領、旗本領などであった。
  • 1878年(明治11年) -
    • 加茂郡が東加茂郡西加茂郡に分離される。
    • 西樫尾村、東渡合村、小町村、御蔵村、実栗村、大蔵村、切山村、小手沢村が合併し、広岡村となる。
    • 東広見村と深田村が合併し、白山村となる。
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 大河原村、中立村、葛村、摺村、栃ノ沢村、東中山村、大塚村、塩ノ沢村、月原村、広岡村、白山村が合併し、阿摺村となる。
  • 1893年(明治26年)2月2日 - 賀茂村の一部が分立し、大和村[3]となる。
  • 1894年(明治27年)6月4日 - 阿摺村の一部[4]が分立し、瑞穂村となる。
  • 1906年(明治39年)5月1日 - 阿摺村、瑞穂村、大和村が合併し、阿摺村となる。
  • 1955年昭和30年)4月1日 - 足助町、盛岡村、賀茂村、阿摺村が合併し、足助町となる。

学校

脚注

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  1. ^ 愛知県総務部統計課 1951年10月刊行
  2. ^ 読みがなに注意。(出典:『足助町誌』:3ページ)
  3. ^ 越田和、北小田、福知、永野、久木、豊岡、林間、新盛、千田が該当する。
  4. ^ 中立、葛、摺、栃ノ沢、東中山、大塚、塩ノ沢、深田、東広見が該当する。

参考文献

  • 足助町誌編集委員会 『足助町誌』、愛知県東加茂郡足助町、1975年。

関連項目

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