静岡鉄道菊川営業所

静岡鉄道 > 菊川営業所

静岡鉄道菊川営業所(しずおかてつどうきくがわえいぎょうしょ)は、かつて静岡県小笠郡菊川町に存在した静岡鉄道自動車部の事業所である。1987年(昭和62年)に廃止され、浜岡営業所に移管された。

所在地

  • 1943年(昭和18年)- 1963年(昭和38年)静岡県小笠郡堀之内町堀之内(1954年より菊川町堀之内255-9)[1]
    • 跡地は静岡鉄道の直営で静鉄ストアー菊川店(のちにファミリーストア菊川店)となったが、[2] さらに駅南地区土地区画整理事業により現在は駅前ロータリーと都市計画道路菊川駅前通り線となっている。[3]
  • 1963年(昭和38年)- 1987年(昭和62年)静岡県小笠郡菊川町本所1105-1
    • 菊川営業所廃止後は1990年(平成2年)まで浜岡営業所の車庫として存続したが、ファミリー菊川店が菊川駅前から再度移転し、1996年(平成8年)4月にしずてつストア菊川店に改称。さらに1999年(平成11年)12月にしずてつストア菊川店は菊川町半済に移転し、営業所跡地は現在フリースクール施設となっている。

概説

沿革

  • 1916年(大正5年)3月1日 - 堀之内 - 吉沢 - 大沢原間に路線が開設され、のちに堀之内軌道運輸に承継された。[4]
  • 1925年(大正14年)
  • 1935年(昭和10年)7月 - 堀之内軌道運輸が軌道営業を廃止し、乗合自動車事業を藤相鉄道に譲渡した。[6][7][8]
  • 1943年(昭和18年)5月15日 - 静岡電気鉄道、静岡乗合自動車、藤相鉄道中遠鉄道、静岡交通自動車の5社の戦時統合によって静岡鉄道が設立され、堀ノ内駅前に堀之内自動車車庫が開設された。[9][10][11]
  • 1947年(昭和22年)1月18日 - 榛原郡町村会長(大井川鉄道延長期成同盟会会長)から大井川鉄道運輸大臣静岡県知事に対し大井川鉄道榛南地域への路線延長(金谷 - 御前崎間)の陳情書が提出された。また、運輸大臣、県知事に対しての陳情書には過渡的措置として省営バス(国鉄バス)の運行が追加されていた。これを受け、大井川鉄道が従来の営業エリアから小笠南部、榛南方面への路線網の拡大を計画し、静岡鉄道との競願となっていった。[12]
  • 1948年(昭和23年)- 増資を行い市外の路線の復興のために組織を整備し、袋井営業所堀之内営業区を開設した。[13][14]
  • 1953年(昭和28年)- 貸切自動車事業を開始した。[10]
  • 1954年(昭和29年)- 町村合併により菊川町が誕生し、堀之内営業区が菊川営業区となった。
  • 1958年(昭和33年)
    • 6月1日 - 機構改正により菊川営業区が菊川営業所に、浜岡分区が浜岡支所となった。[15]
    • 6月5日 - 大井川鉄道との競願交渉が決着し、菊川営業所の管轄で「浜岡線」「佐倉地頭方線」が運行を開始した。
  • 1961年(昭和36年)11月 - 労働環境改善のため菊川営業所の改良工事が行われた。[16]
  • 1963年(昭和38年)- 輸送力増強と車両の大型化に対応するため菊川駅前から菊川町本所に営業所を移転。[10][11] 同年12月21日、駅前の営業所跡地に静岡鉄道直営で静鉄ストアー菊川店が開業した。[17][2]
  • 1967年(昭和42年)静岡鉄道駿遠線新袋井 - 新三俣間が廃止され、南大坂駅の跡地にバスターミナル(反転地)が開設された。
  • 1969年(昭和44年)
    • 2月 - 菊川駅前の静鉄ストアーが「ファミリーストア菊川店」に改称された。[2]
    • 3月15日 - 遠州鉄道と相互乗り入れで 「東名静岡浜松線(特急)」が開設された。
  • 1973年(昭和48年)3月3日 - 浜岡支所を池新田中町から池新田南部に移転し、浜岡営業所を開設した。なお、当初は車庫は有するものの整備場は無く、車両の運用管理は引き続き菊川営業所が行っており、所属は菊川営業所であった。
  • 1976年(昭和51年)- 1階を整備場、2階を事務所とする菊川営業所新社屋が竣工した。[10]
  • 1978年(昭和53年)- 大東町役場にバスターミナルが開設され「内田大坂線」「平田大坂線」の運行経路が変更された。また、「大坂線」の南大坂 - 新横須賀間が廃止され、南大坂から大東町役場への乗り入れを開始した。
  • 1984年(昭和59年)頃 - 「特急静岡御前崎線」に浜岡営業所発着の系統が新設され、これに併せて「東名静岡浜松線」担当車両が菊川営業所から浜岡営業所(車庫)に配置され、朝晩の菊川営業所からの入出庫が浜岡からの入出庫となった。[18][19]
  • 1987年(昭和62年)7月 - 浜岡営業所へ移管し菊川営業所を廃止、浜岡営業所の菊川車庫となる。
  • 1990年(平成2年)1月 - 菊川車庫を廃止。[20]

所管していた路線

菊川営業所の廃止の際には次の路線を浜岡営業所に移管した。

御前崎線

西部国道線

  • 運行系統および主要停留所
    • 掛川駅前 -(連雀・神代地)- 仁藤 - 葛川 - 満水 - 堀の内小学校前 - 菊川駅前 - 静鉄菊川営業所 - 吉沢 - 沢水加 - 大沢原 - 猪土井 - 金谷駅
  • 概説

倉沢線、和田公園線

  • 運行系統および主要停留所
    • 菊川駅前 - 潮海寺 - 和田 - 吉沢 - 友田 - 下倉沢 - 上倉沢
  • 概説
    • 「国道本線」の吉沢から分岐して現在の県道234号菊川、東海道本線に沿って菊川駅と上倉沢を結ぶ路線であった。なお、上倉沢からは大井川鉄道が「神谷城線」として、現在の県道234号県道381号(旧国道1号)を経由して金谷駅を結んでいた。
    • 和田 - 上倉沢間は廃止となったが、テニスコートやプール等の施設を有する和田公園へのアクセスのために日曜祝日の運行が多い「和田公園線」として1990年代末期まで維持された。
  • 沿革
    • 1958年(昭和33年)12月現在の時刻表では「倉沢線」が開設されている。[22]
      • 倉沢線:菊川駅 - 日の出町 - 潮海寺 - 掛下 - 矢田部 - 和田 - 吉沢橋 - 吉沢 - 友田 - 友田東 - 下倉沢 - 上倉沢
      • 大井川鉄道 神谷城線:上倉沢 - 菊川橋 - 宮崎町 - 金谷駅
    • 1959年(昭和34年)の時刻表では1日7往復が運行されていた。[23]
    • 1975年(昭和50年)の時刻表では1日11往復が運行されていた。[24]
    • 1977年(昭和52年)の路線図では次の運行経路であった。[25]
      • 菊川駅前 - 日の出町 - 静鉄菊川営業所前 - 潮海寺 - 掛下 - 矢田部 - 和田 - 吉沢橋 - 吉沢 - 河城保育園前 - 友田 - 友田東 - 下倉沢 - 上倉沢
    • 1985年(昭和60年)の時刻表では1日8.5往復の運行にまで減少している。
    • 1987年(昭和62年)7月 - 浜岡営業所に移管された。
    • 1993年(平成5年)4月1日 - 和田 - 上倉沢間の運行を休止し「和田公園線」となった。[26]平日6.5往復、土日祝日10往復が運行されていた。。[27][28]
      • 菊川駅前 - 日の出町 - ファミリー菊川店前 - 潮海寺 - 掛下 - 矢田部 - 和田
    • 1995年(平成7年)3月31日 - 和田 - 上倉沢間が廃止された。[26]
    • 1999年(平成11年)3月31日 - 利用者減少により廃止された。[26]

菊川仁王辻線

  • 概説
    • 1970年代後半に「菊川榛原線」の区間縮小により誕生した路線であり、1980年代半ばには「浜岡線」の仁王辻 - 金谷駅間を統合し、「菊川・浜岡・仁王辻線」として時刻表に掲載されていた。
  • 沿革
    • 1977年(昭和52年)2月の路線図では次の運行経路であった。[25]
    • 1985年(昭和60年)3月14日 - 「浜岡線」の丸尾原下 - 浜岡営業所間を廃止し、金谷駅 - 仁王辻間を「菊川仁王辻線」に統合し「浜岡・菊川・仁王辻線」となった。
    • 1987年(昭和62年)7月 - 浜岡営業所に移管された。
    • 1988年(昭和63年)9月10日 - 廃止。[26]

東名静岡浜松線(特急)

特急静岡御前崎線

詳細は「特急静岡相良線」を参照

平田大坂線

  • 概説
    • 1950年代末期に「菊川大坂線」の平田経由を分離して開設された。
    • 菊川 - 平田間は「御前崎線」が、上平川 - 平田間は「相良掛川線」が併行していた。
    • 1970年代半ばに菊川病院を経由する系統が誕生し通院需要にも対応し、1970年代後半には大東町役場も経由するようになったが、利用者減少により1980年代後半に廃止された。
  • 沿革
    • 1959年(昭和34年)- 「菊川大坂線」の平田経由は「平田大坂線」に分離されており、次の経路を1日5往復の運行であった。[23]
      • 菊川駅前 - 五丁目 - 上平川 - 平田 - 生仁場 - 中村 - 大坂
    • 1967年(昭和42年)静岡鉄道駿遠線新袋井 - 新三俣間が廃止され、南大坂駅の跡地にバスターミナル(反転地)が開設された。また、新三俣経由にルートが変更された。
      • 菊川駅 - 菊川五丁目 - 西横地 - 平田 - 生仁場 - 中村 - 新三俣 - 南大坂
    • 1975年(昭和50年)の時刻表では1日6往復運行されており、内1往復は中村までの区間便であった。また、同年9月に増築により大幅に増床された菊川病院を経由する系統が菊川駅行の午前の上り1便と午後の南大坂行下り1便に設定された。[29]
    • 1978年(昭和53年)- 大東町役場にバスターミナルが開設され、大東町役場を経由するルートに変更された。[30]
    • 1985年(昭和60年)の時刻表では、平日5往復、内大東町役場区間便1往復、日祝日は4往復に減便され、病院経由も朝の南大坂発上り1本のみとなっている。[31]
      • 菊川駅 - 西通り - 五丁目下 - 東名菊川 - 西横地 - 平田 - 生仁場 - 中村 - 大東町役場 - 新三俣 - 南大坂
      • 菊川駅 - 西通り - 五丁目下 - 東名菊川 - 西横地 - 平田 - 生仁場 - 中村 - 大東町役場
      • 菊川駅 - 菊川病院前 ← 五丁目下 ← 東名菊川 ← 西横地 ← 平田 ← 生仁場 ← 中村 ← 大東町役場 ← 新三俣 ← 南大坂
    • 1987年(昭和62年)7月 - 浜岡営業所に移管された。
    • 1988年(昭和63年)9月10日 - 利用者減少により廃止された。[26]

内田大坂線

  • 概説
    • 1950年代末期に「菊川大坂線」の井崎経由を分離して開設され、中村経由と土方経由の2系統が存在し、土方経由は井崎 - 大坂間が「掛川大坂線」と併行していた。
    • 1970年代半ばに「平田大坂線」同様に菊川病院を経由する系統が誕生し、1970年代後半には大東町役場を経由するようになったが、利用者減少により1990年代前半に廃止された。
  • 沿革
    • 1959年(昭和34年)-「菊川大坂線」の井崎経由が「内田大坂線」として分離され、中村経由が1日4往復、土方経由が1日2往復の計6往復が運行されていた。土方 - 大坂間は「掛川大坂線」が併行していた。[23]
      • 中村経由:菊川駅前 - 五丁目 - 応声院前 - 井崎 - 生仁場 - 中村 - 大坂
      • 土方経由:菊川駅前 - 五丁目 - 応声院前 - 井崎 - 土方 - 大坂
    • 1967年(昭和42年)静岡鉄道駿遠線新袋井 - 新三俣間が廃止され、南大坂駅の跡地にバスターミナル(反転地)が開設された。
    • 1972年(昭和47年)11月現在の路線図では土方経由は既に廃止されている。[32]
    • 1975年(昭和50年)の時刻表では1日9往復運行されており、内4往復が井崎区間便、1往復が生仁場区間便で、午前の井崎発菊川行1本、午後の井崎行1本のみが菊川病院経由であった。[33]
      • 菊川駅前 - 西通り - 菊川五丁目 - 応声院前 - 井崎 - 生仁場 - 中村 - 南大坂
      • 菊川駅前 - 西通り - 菊川五丁目 - 応声院前 - 井崎 - 生仁場
      • 菊川駅前 - 西通り - 菊川五丁目 - 応声院前 - 井崎
      • 菊川駅前 - 菊川病院前 - 菊川五丁目 - 応声院前 - 井崎
    • 1978年(昭和53年)- 大東町役場にバスターミナルが開設され、大東町役場を経由するルートに変更された。[30]
    • 1985年(昭和60年)4月の時刻表では平日4.5往復、内2.5往復が井崎区間便、日祝日4往復、内2往復が井崎区間便で、経日、日祝日ともに午前の井崎発菊川行1本のみが菊川病院経由であった。なお、生仁場区間系統は廃止されている。[34]
      • 菊川駅 - 西通り - 菊川五丁目 - 応声院前 - 井崎 - 生仁場 - 中村 - 大東町役場 - 南大坂
      • 菊川駅 - 西通り - 菊川五丁目 - 応声院前 - 井崎
      • 菊川駅 ← 菊川病院前 ← 菊川五丁目 ← 応声院前 ← 井崎
    • 1987年(昭和62年)7月 - 浜岡営業所に移管された。
    • 1992年(平成4年)3月16日 - 利用者減少により廃止された。[26]

休廃止路線

国道本線

西部国道本線

沢水加(さばか)線

  • 運行系統および主要停留所
    • 菊川駅前 - 静鉄菊川営業所 - 和田 - 原段 - 公民館前 - 沢水加
  • 概説
    • 1962年(昭和37年)6月 - 「西部国道線」の和田停留所から沢水加地区に分岐する「沢水加線」が開設された。菊川駅前 - 和田間を「西部国道線」と「倉沢線」が併行していた。なお、「西部国道線」の沢水加停留所は畑無に名称変更された。[35]
    • 1972年(昭和47年)の路線図では次の経路を運行していた。[32]
      • 沢水加線:菊川駅前 - 静鉄菊川営業所 - 和田 - 原段 - 公民館前 - 沢水加
      • 倉沢線 :菊川駅前 - 静鉄菊川営業所 - 和田 - 吉沢橋 - 吉沢 - 友田 - 上倉沢
      • 西部国道線掛川駅前 -(略)- 菊川駅前 - 静鉄菊川営業所 - 和田 - 吉沢橋 - 吉沢 - 千駄原 - 畑無(旧沢水加)- 大沢原 -(略)- 金谷駅前
    • 1973年(昭和48年)3月 - 利用者減少により廃止された。[10]

浜岡線

  • 運行系統および主要停留所
    • 金谷駅 - 猪土井 - 六本松 - 大沢原 - 仁王辻 - 丸尾原下 - 新野原 - 下朝比奈 - 浜岡町 - 浜岡営業所
    • 金谷駅 - 猪土井 - 六本松 - 大沢原 - 仁王辻 - 丸尾原下 - 新野原 - 下朝比奈 - 浜岡町 - 浜岡中学校前 - 東海病院前 - 浜岡町役場 - 浜岡営業所
  • 概説
  • 沿革
    • 1958年(昭和33年)6月5日開設。運行経路は次のとおり。[15]
      • 金谷駅 - 猪土井 - 六本松 - 大沢原 - 仁王辻 - 丸尾原下 - 新野原 - 下朝比奈 - 浜岡町
    • 1977年(昭和52年)2月現在の路線図では次の運行経路であった。[25]
      • 金谷駅 - 猪土井 - 六本松 - 大沢原 - 仁王辻 - 丸尾原下 - 新野原 - 下朝比奈 - 浜岡町 - 浜岡営業所
    • 1981年(昭和56年)浜岡町役場の新築移転に伴い浜岡町役場経由が設定された。
    • 1984年(昭和59年)の路線図では次の経路を運行していた。[19]
      • 金谷駅 - 猪土井 - 六本松 - 大沢原 - 仁王辻 - 丸尾原下 - 新野原 - 下朝比奈 - 浜岡町 - (浜岡中学校前 - 東海病院前 - 浜岡町役場) - 浜岡営業所
    • 1985年(昭和60年)3月14日 - 丸尾原下 - 浜岡営業所間が廃止され、「菊川・仁王辻線」に整理された。[26]

菊川榛原線

神尾線

丹野線

  • 1972年(昭和47年)の路線図では次の経路を運行していた。[32]
  • 1975年(昭和50年)の時刻表では1日4往復の運行であった。[40]
  • 1977年(昭和52年)の路線図では道路整備により郵便局前 - 川上間の運行経路が変更されている。[25]
    • 菊川駅前 - 東名菊川 - 西横地 - 平田 - 郵便局前 - 青葉通り - 棚草 - 川上 - 丹野
  • 1985年(昭和60年)4月の時刻表では1日3往復の運行に減便されている。[41]
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 利用者減少により廃止された。[26]

堀ノ内・大坂線、菊川大坂線

  • 概説
  • 沿革
    • 1925年(大正14年)9月28日 - 堀之内軌道運輸が堀之内 - 大坂間に路線を開設した。[4]
      • 堀之内 - 半済 - 杉森 - 大石 - 大坂
    • 1931年(昭和6年)12月20日 - 堀之内軌道運輸が平田経由の系統を開設した。[4]
      • 堀之内 - 半済 - 西横地 - 平田 - 大石 - 大坂
    • 1935年(昭和10年)7月 - 堀之内軌道運輸が乗合自動車事業を藤相鉄道に譲渡し、営業権が藤相鉄道に承継された。
    • 1953年(昭和28年)9月改正の静岡鉄道の時刻表および路線図では「堀之内・大坂線」として次の2系統で運行されていた。[42]
      • 平田経由: 堀之内 - 平田 - 大石 - 大坂
      • 井崎経由: 堀之内 - 応声院 - 井崎 - 大坂
    • 1954年(昭和29年) 堀之内町、六郷村、加茂村、横地村、内田村の1町4村が合併して菊川町が誕生したことにより堀之内駅が菊川駅に改称され、路線名も「菊川大坂線」となった。
    • 1958年(昭和33年)の時刻表では次の経路を運行していた。[43]
      • 菊川駅前 - 五丁目 - 上平川 - 平田 - 生仁場 - 大石 - 中村 - 大坂
      • 菊川駅前 - 五丁目 - 応声院前 - 井崎 - 生仁場 - 大石 - 中村 - 大坂
    • 1959年(昭和34年)の時刻表では「平田大坂線」「内田大坂線」に分離されている。[23]
      • 平田大坂線
        • 菊川駅前 - 五丁目 - 上平川 - 平田 - 生仁場 - 中村 - 大坂
      • 内田大坂線
        • 中村経由:菊川駅前 - 五丁目 - 応声院前 - 井崎 - 生仁場 - 中村 - 大坂
        • 土方経由:菊川駅前 - 五丁目 - 応声院前 - 井崎 - 土方 - 大坂

脚注

出典

  1. ^ 総理府統計局 編『会社企業年鑑 昭和37年版』日本統計協会、1962年。 
  2. ^ a b c 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道、2020年3月、112-113,291頁。 
  3. ^ 『掛川・小笠いまむかし』静岡郷土出版社、1988年9月3日、34頁。 
  4. ^ a b c d e 鉄道省 編『全国乗合自動車総覧 静岡県』鉄道公論社、1934年12月29日、35頁。 
  5. ^ 『浜岡町史 通史編』御前崎市、2011年3月、756頁。 
  6. ^ 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道、2020年3月、289頁。 
  7. ^ 『風紋 浜岡町閉庁写真集』浜岡町、2004年3月、211頁。 
  8. ^ 『浜岡町史 通史編』御前崎市、2011年3月、757頁。 
  9. ^ 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道、2020年3月、58-63頁。 
  10. ^ a b c d e f 菊川町史編纂委員会 編『菊川町三十年の歩み 資料編』菊川町、1985年11月3日、878頁。 
  11. ^ a b 『上半済打上五丁目郷土誌』上半済打上五丁目郷土誌編集委員会、1987年3月1日、201頁。 
  12. ^ 金谷町史編さん委員会 編『金谷町史 資料編 三 近現代』金谷町役場、1995年3月31日、1003頁。 
  13. ^ 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道、2020年3月、65-70頁。 
  14. ^ 1947年に貸切バス事業を開始して以降、1958年の機構改正が行われる迄の観光パンフレットの問合せ先に各営業所、営業区が記載されている。
  15. ^ a b 『写真で綴る静岡鉄道70年の歩み』静岡鉄道、1989年4月、162頁。 
  16. ^ 『静苑 第七号』静岡鉄道、1961年9月30日、3頁。 
  17. ^ 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道、2020年3月、291頁。 
  18. ^ 『静鉄バス時刻表 No.14 東名静岡浜松線 特急静岡御前崎線 60.4.29現在』静岡鉄道、1985年。 
  19. ^ a b 『静岡鉄道バス全区間路線図 1984年4月現在』静岡鉄道。 
  20. ^ 菊川町五十周年記念誌編さん委員会 編『菊川町みのりの二十年(資料編)』菊川町、2004年10月31日、663頁。 
  21. ^ 『令和2年度 地域公共交通確保維持改善事業(地域間幹線系統)第三者評価委員会資料』静岡県生活交通確保対策協議会、2021年2月15日。 
  22. ^ 『バス時刻表 附国鉄線 並 静鉄各鉄道線 1958.12.5改正』静岡鉄道、1958年。 
  23. ^ a b c d 『バス時刻表 1959.10.16現在 静鉄バス』静岡鉄道。 
  24. ^ 『静鉄バス時刻表 No.17 倉沢線 50.11.16現在』静岡鉄道、1975年。 
  25. ^ a b c d e 『静岡鉄道バス全区間路線図 1977年2月現在』静岡鉄道。 
  26. ^ a b c d e f g h i 菊川町五十周年記念誌編さん委員会 編『菊川町みのりの二十年(資料編)』菊川町、2004年10月31日、664頁。 
  27. ^ 『静鉄バス時刻表 No.40 和田公園線 93.4.1現在』静岡鉄道、1993年。 
  28. ^ 『西部地区 バス路線図 1993.4現在』静岡鉄道、1993年。 
  29. ^ 『静鉄バス時刻表 No.17 平田大坂線 50.11.16現在』静岡鉄道、1975年。 
  30. ^ a b 『大東町誌』大東町、1984年3月、592頁。 
  31. ^ 『静鉄バス時刻表 No.37 平田大坂線 60.4.8現在』静岡鉄道、1985年。 
  32. ^ a b c 『バス路線図 静岡鉄道[全地区] 47.11現在』静岡鉄道、1972年。 
  33. ^ 『静鉄バス時刻表 No.17 内田大坂線 50.11.16現在』静岡鉄道、1975年。 
  34. ^ 『静鉄バス時刻表 No.37 内田大坂線 60.4.8現在』静岡鉄道、1985年。 
  35. ^ 『保存版 掛川・菊川・御前崎今昔写真帖』郷土出版、2007年7月、62頁。ISBN 9784876639069。 
  36. ^ a b 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道、2020年3月、93頁。 
  37. ^ 『神尾郷土史』神尾郷土誌編集委員会、1982年3月。 
  38. ^ 『静鉄バス時刻表 No.17 神尾線 50.11.16現在』静岡鉄道、1975年。 
  39. ^ 『静鉄バス時刻表 No.37 神尾線 60.4.8現在』静岡鉄道。 
  40. ^ 『静鉄バス時刻表 No.17 丹野線 50.11.16現在』静岡鉄道、1975年。 
  41. ^ 『静鉄バス時刻表 No.17 丹野線 50.11.16現在』静岡鉄道、1975年。 
  42. ^ 『バス時刻表』静岡鉄道、1953年9月。 
  43. ^ 『バス時刻表 附国鉄線 並 静鉄各鉄道線 1958.12.5改正』静岡鉄道、1958年。