高山城 (飛騨国)

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高山城
岐阜県
高山城本丸
高山城本丸
別名 天神山城
城郭構造 平山城
天守構造 望楼型
築城主 金森長近
築城年 天正16年(1588年
主な城主 金森氏
廃城年 元禄8年(1695年
遺構 曲輪、堀、石垣、土塁
指定文化財
  • 県指定史跡
  • 天然記念物
    (野鳥生息地として)
位置 北緯36度8分17.37秒 東経137度15分49.47秒 / 北緯36.1381583度 東経137.2637417度 / 36.1381583; 137.2637417
地図
高山城の位置(岐阜県内)
高山城
高山城
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高山城石碑

高山城(たかやまじょう)は、飛騨国大野郡高山[1]岐阜県高山市)にあった戦国時代から江戸時代前期の日本の城。岐阜県指定史跡

構造

標高686.6mの城山(臥牛山、巴山ともいう)に築城された平山城で、曲輪石垣土塁などの遺構が残る。望楼型2重3階の非実戦的な天守を持つ御殿風の古い城郭形式は、織田信長が築城した安土城の影響を受けたものと見られている。

歴史

  • 室町時代文安年間
    飛騨守護京極氏の被官、多賀出雲守徳言が天神山城(多賀山城)を築城。
  • 永正年間
    高山外記が山頂部に天神山城を築城。付近を高山と呼ぶようになったというが異説もある。
  • 戦国時代
    三木自綱が高山へ進出、飛騨を平定、松倉城を築城した。越中佐々成政と同盟し、豊臣秀吉に対抗したことから、1585年天正13年)豊臣秀吉の命を受けた越前大野城主金森長近三木氏を攻め、飛騨を制圧し、飛騨3万3千石の領主となる。当初、長近は鍋山城を居城としたが、1588年(天正16年)天神山城跡を利用して高山城を築城。1600年慶長5年)までに本丸・二の丸を完成させ、その3年後までには三の丸が整備された。築城と同時に城下町の整備も進められ、高台に家臣屋敷を建設し、下段の三町を町人の町とした。そして京都に倣って東山に寺院を集めた。
  • 1692年元禄5年)
    金森頼旹出羽国上山藩への国替えにより、高山城は加賀藩前田綱紀が預かった。
  • 1695年(元禄8年)
    幕府領となったため、幕命により高山城は前田綱紀により破却される。

現在は、岐阜県高山市空町城山公園。城跡は県指定史跡であるとともに、野鳥生息地(「高山城跡及びその周辺の野鳥生息地」)として天然記念物にも指定されている[2]。 高山市天性寺町62  法華寺本堂(県重文)は高山城の一郭を移築したものといわれている。

歴代城主

金森家

  1. 金森長近
  2. 金森可重
  3. 金森重頼
  4. 金森頼直
  5. 金森頼業
  6. 金森頼旹

アクセス

鉄道

東海旅客鉄道(JR東海)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 「角川日本地名大辞典21 岐阜県」
  2. ^ “高山城跡”. 岐阜県. 2018年9月3日閲覧。

参考文献

  • 高山市教育委員会編『高山市歴史文化基本構想 文化財保存活用計画』高山市、2010年

関連項目

外部リンク

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