黒澤翼
黒澤 翼(くろさわ つばさ、1980年6月24日 - )は、日本のレーシングドライバー、編集者。静岡県出身。血液型はA型。父は1960~1970年代にドライバーとして活躍した黒澤元治。兄の黒澤琢弥・黒澤治樹もレーシングドライバーである。
略歴
1999年にフォーミュラ・トヨタでデビュー。2001年にフォーミュラ・ドリーム参戦などデビュー当初はフォーミュラカーレースが主体の活動であった。しかし、思いのほか良い成績が残せず、2002年に全日本GT選手権を皮切りに、スーパー耐久にも2003年第6戦から参戦を開始し、2005年はフル参戦した。2006年にはSUPER GTにフル参戦を果たす。チームノバからの参戦で、監督には父親、もう一人のドライバーには長男の琢弥、そしてスーパーバイザーには次男の治樹という一家総出の体制となった。2007年はJLOCのもとでランボルギーニ・ガヤルドで参戦を行うも、出来上がったばかりのマシンだと言う事もあり、本領発揮できなかった。2008年はポルシェ・ボクスターで参戦。
2012年のSUPER GT・GT300クラスでLEON RACINGと黒澤家がジョイントし始めた縁で、5月より雑誌『LEON』(主婦と生活社)の編集者を務めている[1]。そのためレーシングドライバーとしては一線を退いていたが、2013年にはLEON RACINGのドライバーとして現役に復帰した[2]。当初は第5戦(鈴鹿1000km)のみ第3ドライバーで起用される予定だったが、第2戦でも第3ドライバーとしてエントリーされ、結局第3戦から第2ドライバーに昇格した[3]。第5戦(鈴鹿1000km)では表彰台に登った。翌2014年も開幕戦と最終戦以外にセカンドドライバーとして参戦し、第4戦(スポーツランドSUGO)で2位表彰台に登った。
2015年以降はGT参戦はなく、メディア露出の機会はめっきり減ったが、2018年1月に6歳年下でアーティスティックスイミング選手の木村真野との結婚が発表された[4]。
戦績
SUPER GT
年 | エントラント名 | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 順位 | ポイント |
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2002年 | アールアンドデースポーツEX | ポルシェ・911 GT3R | GT300 | TAI | FSW 10 | SUG | SEP | FSW | TRM | MIN | SUZ | 30位 | 1 | |
2006年 | EBBRO TEAM NOVA | ヴィーマック・350R | GT300 | SUZ 8 | OKA 21 | FSW 15 | SEP DNS | SUG 10 | SUZ Ret | TRM 12 | AUT 15 | FSW 10 | 22位 | 12 |
2007年 | JLOC | ランボルギーニ・ガイヤルド RG-3 | GT300 | SUZ DNQ | OKA DNQ | FSW DNQ | SEP DNQ | SUG DNQ | SUZ 17 | TRM 19 | AUT Ret | FSW 25 | NC | 0 |
2008年 | ARKTECH MOTORSPORTS | ポルシェ・ボクスター | GT300 | SUZ | OKA 21 | FSW 14 | SEP 19 | SUG 16 | SUZ 8 | TRM 19 | AUT Ret | FSW | 31位 | 3 |
2009年 | TEAM TAISAN | ポルシェ・911 GT3RS | GT300 | OKA | SUZ | FSW | SEP | SUG 7 | SUZ | FSW | AUT | TRM | 21位 | 4 |
2010年 | JLOC | ランボルギーニ・ガイヤルド RG-3 | GT300 | SUZ | OKA | FSW | SEP | SUG | SUZ | FSW | TRM Ret | NC | 0 | |
2013年 | LEON RACING | メルセデス・ベンツ SLS AMG GT3 | GT300 | OKA | FSW DNP | SEP 8 | SUG 7 | SUZ 3 | FSW 4 | AUT 18 | TRM 6 | 9位 | 34 | |
2014年 | GT300 | OKA | FSW 8 | AUT 10 | SUG 2 | FSW 8 | SUZ Ret | CHA Ret | TRM | 13位 | 22 |
脚注
外部リンク
- That's 黒澤 翼