J.C.ロメロ

J.C.ロメロ
J.C.Romero
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 プエルトリコの旗 プエルトリコ自治連邦区リオ・ピエドラス
生年月日 (1976-06-04) 1976年6月4日(47歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 左投両打
ポジション 投手
プロ入り 1997年 ドラフト21巡目
初出場 1999年9月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国代表
プエルトリコの旗 プエルトリコ
WBC 2006年2009年2013年2017年
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
パンアメリカン競技大会
1999 野球
プエルトリコの旗 プエルトリコ
ワールド・ベースボール・クラシック
2013 野球
2017 野球

フアン・カルロス・ロメロJuan Carlos Romero, 1976年6月4日 - )は、プエルトリコ出身の元プロ野球選手投手)。左投両打。

経歴

プロ入りとツインズ時代

1997年MLBドラフト21巡目でミネソタ・ツインズから指名を受け、プロ入り。

1999年に同年のパンアメリカン競技大会の野球アメリカ合衆国代表に選出されている[1]。9月15日にテキサス・レンジャーズ戦でメジャーデビュー(結果は1.1回を投げて被安打1、無失点)。

2000年と翌2001年は先発もしたが、2年とも負け越し、防御率6点台オーバーなどと、結果は思わしくなかった。

2002年からはリリーフに転向。アメリカンリーグ2位、ナショナルリーグを合わせても4位となる81試合に登板した。それでいて防御率1.89の好成績。一躍球界トップレベルの投手となった。この年のオフ、日米野球MLB選抜で来日した。

2003年は、コントロールが定まらず、防御率は5.00まで跳ね上がった。それでも73試合登板はアメリカンリーグ6位の好記録。

2004年6月12日にマイナー落ちの屈辱を味わうが、6月26日にメジャー復帰を果たすと、その後は2002年の再現のようなピッチングを見せ、マイナー落ちの時点で5.70だった防御率が、9月22日の時点では2.69を記録した。あと僅かでシーズン終了という場面だったが、最後の最後で連打を浴び、防御率3.51でシーズンを終えた。74試合登板はリーグ7位の好成績。

2005年はツインズで68試合に登板。

エンゼルス時代

2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)プエルトリコ代表に選出された。

シーズンではロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムで65試合に登板。

フィリーズ時代

2007年ボストン・レッドソックス、6月22日からはフィラデルフィア・フィリーズで合計74試合に登板し、防御率1.92の好成績を残した。四球がやや多く、2006年のように冴えない結果に終わることもあるが、それでも2002年からの2007年6年間で年平均72.5試合に投げている。

2008年は自己最多タイの81試合に登板、自身初体験のワールドシリーズで2勝を挙げ、チームの世界一に貢献。しかし、薬物検査で陽性反応が出たため、翌年の開幕から50試合の出場停止処分が科され、年俸が125万ドル削減された。

2009年開幕前の3月に開催された第2回WBCプエルトリコ代表に選出され、2大会連続2度目の選出となった。

シーズンでは出場停止明け後も故障に苦しみ、例年得意としていた左打者にも被打率.308と打ち込まれた。

2010年は与四球率7.12と制球難に苦しんだが、主に対左のワンポイントとして対左を被打率.214に抑え、60試合に登板した。

2011年も24試合で与四球率6.61と制球難に陥り、6月24日に解雇される。

フィリーズ退団後

2011年6月29日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだが7月14日に再び解雇され、ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結ぶ。8月9日に解雇され、13日にコロラド・ロッキーズと契約した。12月15日にセントルイス・カージナルスとマイナー契約を結ぶ。

2012年は開幕ロースター入りするが、11試合の登板で5月14日にカージナルスを解雇となり、23日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約。7月10日に解雇となり、21日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結ぶ。8月13日にトレードで再びオリオールズに移籍しメジャーで5試合に登板するが、27日に解雇となる。

2013年3月に開催された第3回WBCプエルトリコ代表に選出され、3大会連続3度目の選出となった。3月22日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ[2][3]。6月1日に自由契約となり、7日にインディアンスとマイナー契約を結ぶ。

2014年は所属球団がなく、2015年メキシカンリーグプエブラ・パロッツと契約。5試合に登板後、4月15日に出場登録を外れ、6月30日に独立リーグ・アトランティックリーグロングアイランド・ダックスと契約。

2017年2月8日に第4回WBCプエルトリコ代表に選出され、4大会連続4度目の選出となった[4]。3月22日の決勝アメリカ合衆国戦に敗戦し、2大会連続で準優勝となった[5]。オフにはドミニカ共和国のウィンターリーグに参加。

成績

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1999 MIN 5 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 39 9.2 13 0 0 0 0 4 0 0 4 4 3.72 1.34
2000 12 11 0 0 0 2 7 0 0 .222 268 57.2 72 8 30 0 1 50 2 1 51 45 7.02 1.77
2001 14 11 0 0 0 1 4 0 0 .200 286 65.0 71 10 24 1 1 39 1 0 48 45 6.23 1.46
2002 81 0 0 0 0 9 2 1 33 .818 332 81.0 62 3 36 4 4 76 9 0 17 17 1.89 1.21
2003 73 0 0 0 0 2 0 0 22 1.000 295 63.0 66 7 42 7 6 50 9 2 37 35 5.00 1.71
2004 74 0 0 0 0 7 4 1 16 .636 319 74.1 61 4 38 6 5 69 5 0 32 29 3.51 1.33
2005 68 0 0 0 0 4 3 0 11 .571 264 57.0 50 6 39 8 6 48 1 1 26 22 3.47 1.56
2006 LAA 65 0 0 0 0 1 2 0 7 .333 226 48.1 57 3 28 2 1 31 1 0 40 36 6.70 1.76
2007 BOS 23 0 0 0 0 1 0 1 2 1.000 94 20.0 24 2 15 3 0 11 0 0 7 7 3.15 1.95
PHI 51 0 0 0 0 1 2 0 22 .333 143 36.1 15 1 25 2 2 31 4 0 5 5 1.24 1.10
'07計 74 0 0 0 0 2 2 1 24 .500 237 56.1 39 3 40 5 2 42 4 0 12 12 1.92 1.40
2008 81 0 0 0 0 4 4 1 24 .500 255 59.0 41 5 38 5 5 52 2 1 18 18 2.75 1.34
2009 21 0 0 0 0 0 0 0 6 ---- 73 16.2 13 2 13 0 2 12 0 0 6 5 2.70 1.56
2010 60 0 0 0 0 1 0 3 9 1.000 171 36.2 30 3 29 7 5 28 0 1 17 15 3.68 1.61
2011 24 0 0 0 0 0 0 0 3 ---- 75 16.1 16 0 12 2 1 10 0 0 7 7 3.86 1.71
COL 12 0 0 0 0 1 0 0 0 1.000 41 8.1 12 1 3 0 0 9 0 0 7 4 4.32 1.80
'11計 36 0 0 0 0 1 0 0 3 1.000 116 24.2 28 1 15 2 1 19 0 0 14 11 4.01 1.74
2012 STL 11 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 41 8.0 14 3 2 0 1 5 0 0 9 9 10.13 2.00
BAL 5 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 21 4.0 7 1 1 0 0 1 1 0 4 3 6.75 2.00
'12計 16 0 0 0 0 0 0 0 2 ---- 62 12.0 21 4 3 0 1 6 1 0 13 12 9.00 2.00
MLB:14年 680 22 0 0 0 34 28 7 157 .548 2943 661.1 624 59 375 47 40 526 35 6 335 306 4.16 1.51
  • 2018年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

代表歴

アメリカ合衆国代表
  • 1999年パンアメリカン競技大会野球アメリカ合衆国代表
プエルトリコ代表
その他
  • 2002 日米野球

脚注

  1. ^ 1999 Pan American Team Roster USABaseball.com (英語) (2011年5月18日) 2016年2月27日閲覧
  2. ^ Nats sign veteran lefty reliever Romero
  3. ^ Nationals sign J.C. Romero to minor league deal
  4. ^ Young stars join Beltran, Yadi for Puerto Rico MLB.com (英語) (2017年2月8日) 2017年3月16日閲覧
  5. ^ American Beauty: USA dominates PR in final World Baseball Classic (英語) (2017年3月22日) 2017年3月23日閲覧

関連項目

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • J.C. Romero stats MiLB.com (英語)
  • JC Romero (@JCRome16) - X(旧Twitter)
フィラデルフィア・フィリーズ 2008年のワールドシリーズ ロースター
   

監督
41 チャーリー・マニエル

コーチ
02 スティーブ・スミス(三塁)
15 デイビー・ロープス(一塁)
17 ミック・ベルメイヤー(捕手インストラクター)
22 ジミー・ウィリアムズ(ベンチ)
25 ミルト・トンプソン(打撃)
30 リッチ・ダビー(投手)
31 ラモン・ヘンダーソン(ブルペン)

 
プエルトリコの旗 WBCプエルトリコ代表
プエルトリコの旗 野球プエルトリコ代表 - 2006 ワールド・ベースボール・クラシック
監督

ホセ・オケンドー

コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
プエルトリコの旗 野球プエルトリコ代表 - 2009 ワールド・ベースボール・クラシック
監督

ホセ・オケンドー

コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
プエルトリコの旗 野球プエルトリコ代表 - 2013 ワールド・ベースボール・クラシック 2 2位準優勝
監督

エドウィン・ロドリゲス

コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
プエルトリコの旗 野球プエルトリコ代表 - 2017 ワールド・ベースボール・クラシック 2 2位準優勝
監督

26 エドウィン・ロドリゲス

コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
アメリカ合衆国の旗 野球アメリカ合衆国代表 - 1999年パンアメリカン競技大会野球競技 2 2位 準優勝
監督
コーチ
  • 11 マーセル・ラッチマン (投手コーチ)
  • 9 レジー・スミス (アシスタントコーチ)
  • 4 ジャッキー・ムーア (アシスタントコーチ)
  • 13 ジョー・カーボン (補助コーチ)
  • 6 ディック・クーク (補助コーチ)
投手
捕手
内野手
外野手
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