オウサナー
オウサナー ဥဇနာ | |
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パガン王朝第10代王 | |
在位 | 1249年 - 1256年 |
別号 | ダラ・ピャン・ミャン |
全名 | シュリー・トリバワナ・アディトヤ・ダンマ・ラージャ・ダーナパティ |
出生 | 1213年2月23日 |
死去 | 1256年5月 ダラ |
配偶者 | タンブーラ |
子女 | ティンガトゥ ナラティーハパテ |
王朝 | パガン王朝 |
父親 | チャゾワー? |
宗教 | 上座部仏教 |
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オウサナー(ビルマ語: ဥဇနာ、1213年2月23日 - 1256年5月)は、パガン王朝の第10代の国王(在位:1249年 - 1256年[1][2])。日本語ではウザナとも表記される。史料にはシュリー・トリバワナ・アディトヤ・ダンマ・ラージャ・ダーナパティ(神聖、三界、太陽、法王、勝利者)の別名でも書かれる[3]。
略歴
オウサナーの出自については、先代の王チャゾワーの子[4]、あるいはチャゾワーの甥[3]と考えられている。
ビルマ語の王統史では、冗談と酒を好み、象狩りを趣味とする快活な人物として書かれる[4]。1255年(あるいは1256年)に南方のダラ(現在のヤンゴン近郊の都市)で没したため、ダラ・ピャン・ミャン(ダラで没した王)とも呼ばれる。彼の死因について、王統史には狩りで捕らえた象に踏み殺されたと書かれるが[4]、暗殺[3]、あるいはダラで起きた反乱の鎮圧中に戦死した[5]と考える研究者も存在する。
宗室
妃
- タンブーラ:1255年にタンブーラ寺院を建立した[6]。
子
- ティンガトゥ:妃の子。
- ナラティーハパテ:妾腹の子。
脚注
参考文献
- G.E.ハーヴェイ『ビルマ史』(東亜研究所訳, ユーラシア叢書, 原書房, 1976年)
- 伊東利勝「イラワジ川の世界」『東南アジア史 1 大陸部』収録(石井米雄、桜井由躬雄編, 新版世界各国史, 山川出版社, 1999年12月)
- 大野徹『謎の仏教王国パガン』(NHKブックス, 日本放送出版協会, 2002年11月)
パガン王朝国王 | |
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ピューソウティ167-242 / ティミニー242-299 / イムミンパイ299-324 / パイティリ324-344 / ティンリチャウン344-387 / チャウンドゥリッ387-412 / ティタン412-439 / タラムンピャ494-516 / タイタイン516-523 / ティンリチャウンネ523-532 / ティンリパイ532-547 / カンラウン547-557 / カンラッ557-569 / トゥンタイ569-582 / トゥンピッ582-598 / トゥンチッ598-613 / ポパ・ソウラハン613-640 / シュウェ・オンティ640-652 / ペイトン652-660 / ペイタウン660-710 / ナクウェ710-716 / ミンチウェ716-726 / テインカ726-734 / テインスン734-744 / シュウェラウン744-753 / トゥントウィン753-762 / シュウェマウ762-785 / ムンラッ785-802 / ソウキンニッ802-829 / ケル829-846 / ピンピャ846-878 / タンネッ878-906 / サレ・ナクウェ906-915 / テインコ915-931 / ニャウン・ウ・ソウラハン931-964 / クンソウ・チャウンピュー964-986 / チーソ986-992 / ソッカ・テ992-1044 / アノーヤター1044-1077 / ソウルー1077-1084 / チャンシッター1084-1113 / アラウンシードゥー1113-1165 / ナラトゥー1165-1170 / ナラティンカー1170-1173 / ナラパティシードゥー1173-1210 / ナンダウンミャー1210-1234 / チャゾワー1234-1250 / オウサナー1世1250-1255 / ナラティーハパテ1255-1287 / チョウスワー1287-1299 / ソウニッ1299-1314 | |
※アノーヤター以前は実在が確認されていない |