ソウニッ
ソウニッ စောနစ် | |
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パガン王朝第13代王 | |
在位 | 1299年 - 1312年 |
出生 | 1276年 |
死去 | 1325年 |
子女 | オウサナー2世(英語版) |
王朝 | パガン王朝 |
父親 | チョウスワー |
宗教 | 上座部仏教 |
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ソウニッ(ビルマ語: စောနစ်、1276年 - 1325年、在位:1299年[1] - 1312年)は、パガン王朝の第13代の国王。第12代国王チョウスワーの子。ツオウニとも表記される。
生涯
チョウスワーが16歳の時にもうけた子である[2]。
13世紀末のパガン宮廷で最も強勢であったアサンカヤー(英語版)、ヤーザティンジャン(英語版)、ティハトゥ(英語版)のシャン族3兄弟のミンザイン王国(英語版)によって、1299年頃にチョウスワーに代わるパガン王に擁立される。ソウニッ在位中のパガンは過剰な灌漑、乱伐などによって土地の生産力が低下し、食料の供給が困難となり人口の流出が問題となっていた[3]。1312年に祖母である皇太后ソウと共に王家に伝わる金帯と金盆をティハトゥに贈り、王権の譲渡を表明した。ピンヤ朝建国後は地方城主(ミョウ・ザー)としてパガンを統治し、ティハトゥがパゴダを建立した際には彼と共に功徳を分かち合った。
彼の死後は子のオウサナー2世(英語版)(1369年没)がミョウ・ザーの地位を継いでパガンを治めるが、オウサナー2世の死後アノーヤターの血統はアヴァ王朝に連なる女系を除いて断絶した[4]。
脚注
参考文献
パガン王朝国王 | |
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ピューソウティ167-242 / ティミニー242-299 / イムミンパイ299-324 / パイティリ324-344 / ティンリチャウン344-387 / チャウンドゥリッ387-412 / ティタン412-439 / タラムンピャ494-516 / タイタイン516-523 / ティンリチャウンネ523-532 / ティンリパイ532-547 / カンラウン547-557 / カンラッ557-569 / トゥンタイ569-582 / トゥンピッ582-598 / トゥンチッ598-613 / ポパ・ソウラハン613-640 / シュウェ・オンティ640-652 / ペイトン652-660 / ペイタウン660-710 / ナクウェ710-716 / ミンチウェ716-726 / テインカ726-734 / テインスン734-744 / シュウェラウン744-753 / トゥントウィン753-762 / シュウェマウ762-785 / ムンラッ785-802 / ソウキンニッ802-829 / ケル829-846 / ピンピャ846-878 / タンネッ878-906 / サレ・ナクウェ906-915 / テインコ915-931 / ニャウン・ウ・ソウラハン931-964 / クンソウ・チャウンピュー964-986 / チーソ986-992 / ソッカ・テ992-1044 / アノーヤター1044-1077 / ソウルー1077-1084 / チャンシッター1084-1113 / アラウンシードゥー1113-1165 / ナラトゥー1165-1170 / ナラティンカー1170-1173 / ナラパティシードゥー1173-1210 / ナンダウンミャー1210-1234 / チャゾワー1234-1250 / オウサナー1世1250-1255 / ナラティーハパテ1255-1287 / チョウスワー1287-1299 / ソウニッ1299-1314 | |
※アノーヤター以前は実在が確認されていない |